記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓仲恭天皇九条陵のすぐ西側にある長州藩及び支藩の藩士の墓所。慶応4年(1868年)正月の鳥羽伏見戦で戦死した、石川厚狭介他長州藩及び支藩の藩士(防長藩士)48名の墓石が並んでいます。
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仲恭天皇九条陵仲恭天皇は順徳天皇の第四皇子で、鎌倉時代の第85代天皇。承久3年(1221年)4月20日に譲位されて4歳で践祚しましたが、祖父の後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたことで、同年7月9日に廃位されました。
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崇徳天皇中宮 藤原聖子 月輪南陵藤原聖子は摂政関白太政大臣・藤原忠通の長女で崇徳天皇の中宮となった女性。保元元年(1156年)に勃発した保元の乱では父・忠通と夫・崇徳上皇が敵に分かれて戦い、板挟さみとなった聖子は同年出家し清浄恵と号..
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防長忠魂碑(東福寺)鳥羽伏見の戦いの際、長州藩が陣を布いたのが東福寺で、戦死した48名の名前が刻んである石碑が50回忌に東福寺境内に建てられました。戦死した48名の墓は仲哀天皇九条陵の西隣の墓地にあります。
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明智藪山崎の合戦で敗れた明智光秀は居城坂本城を目指して落ち延びる途中、小栗栖の藪(明智藪)で土民の落ち武者狩りに遭い、そこで竹槍に刺されて絶命したとも何とか逃れたものの力尽きて自刃したとも伝えられています。..
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明智光秀之塚天正10年(1582年)6月13日の山崎の合戦で敗れた明智光秀は、坂本城目指して落ちる途中、小栗栖の藪で落ち武者狩りに遭い、自刃して落命。首は秀吉の元へ届けられましたが、胴体はこの地に埋められたとのこ..
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長尾天満宮京都市伏見区醍醐にある醍醐寺の奥に鎮座する天満宮。豊臣秀吉が醍醐寺の金堂を紀州から移築しようとしたところ、工事中に事故が続き、秀吉は道真の怨みを鎮めるために天満宮を創建したとのことです。
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頼政道平家打倒の挙兵に失敗した源頼政が再起を図るために近江の三井寺から奈良へと逃れようとして、以仁王と兵50余騎とともに通った道が頼政道。京都市伏見区の醍醐寺裏手の長尾天満宮参道の傍らに碑があります。
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醍醐寺京都市伏見区醍醐東大路町にある、真言宗醍醐派総本山のお寺で、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られています。
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平重衡墓(日野)元暦2年(1185年)6月23日、平重衡は木津川畔にて斬首されました。重衡の妻の輔子は、うち捨てられていた重衡の遺骸を引き取り、南都大衆から首も貰い受けて荼毘に付し、日野に墓を建てたと伝わっています。..
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紫式部像京都府宇治市の宇治橋の袂にある源氏物語の作者とされる紫式部の像。平安貴族の別荘が多くあった宇治は、「源氏物語」最後の舞台として選ばれ、源氏物語の「宇治十帖」に関連する古蹟も数多く点在しています。
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宇治橋宇治橋は京都府宇治市の宇治川に架かる橋で、大化2年(646年)に初めて架けられたという伝承があり、日本三古橋の一つに数えられています。治承4年(1180年)5月26日、源頼政と平家の間で橋合戦が行われ..