記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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宇治川琵琶湖から流れ出て大阪湾に注ぐ川で、琵琶湖から流れ出た付近では瀬田川と呼ばれ、京都府内では宇治川と名を変え、さらに、大山崎町で桂川・木津川と合流し、この合流地点より下流は淀川と呼ばれています。
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宇治川先陣之碑寿承3年(1184年)、宇治川を挟んで木曽義仲と源義経が戦った所謂「宇治川の戦い」で、名馬「磨墨」に乗った梶原景季と名馬「池月」に乗った佐々木高綱が、宇治川渡河の先陣争いをしたことが良く知られています..
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源頼政墓源頼政は平安時代末期の武将で、平氏の専横に不満が高まる中、以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画しました。しかし、事が露見し準備不足のまま挙兵。平氏の追討から逃れる途中、宇治平等院の戦いに敗れ自害しました..
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太敬庵通圓墓太敬庵通圓は古川右内という源頼政の家臣で、武術に優れた武士でした。源頼政が平家に対して反旗を翻したとき、主君頼政のもとに馳せ参じ、主君とともに宇治橋の合戦で平家の軍と戦い、討ち死にを遂げています。
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平等院源氏物語の舞台でもあった現在の宇治市にある藤原氏所縁のお寺で、「古都京都の文化財」として、世界文化遺産にも登録されています。鳳凰堂は平安時代後期の建造物で、10円玉のデザインになっています。
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扇の芝治承4年(1180年)、源頼政と以仁王は平家打倒を企てましたが失敗。宇治橋の戦いで敗れ、源頼政は平等院で腹を切り最期を遂げました。平等院境内にある扇の芝が、源頼政が腹を切った場所とされています。
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宇治代官所跡京都府宇治市の宇治橋通り商店街・京都銀行宇治支店前に碑があります。この場所は、明治5年(1872年)8月には宇治町役場となり、その後、明治26年(1893年)3月に宇治市役所となり、宇治市制が発足した..
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和泉式部墓和泉式部は平安時代中期の歌人で「和泉式部日記」で知られています。伝承によれば、和泉式部は木津の生まれであり、宮仕えの後、再び木津に戻り余生を過ごしたといわれていて、京都府の木津川市にお墓があります。
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平重衡墓(木津)平清盛の5男の平重衡は南都焼討を行って南都衆徒からひどく憎まれていました。その重衡が一ノ谷の戦いで捕虜になり、南都衆徒に引き渡され木津川畔で斬首されました。平重衡の墓が京都府木津の安福寺境内にあります..
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蟹満寺京都府木津川市山城町綺田にある真言宗智山派のお寺で山号は普門山。 創建年代は不詳ですが、飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されていて、 今昔物語集等に記載のある蟹の恩返しの伝承で有名なお寺です。
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以仁王墓以仁王は後白河天皇の第三皇子でしたが、治承4年(1180年)4月、平氏討伐を決意、挙兵を促す令旨を全国の源氏に発しました。しかし、決起前に事が露見し、奈良に逃れる途中、南山城で戦死しました。
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戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋跡)鳥羽街道の茶屋愛宕茶屋のあった所で、慶応4年(1868年)正月5日、鳥羽伏見の戦いの激戦で、ここでも多数の戦死者が出たとのことです。妙教寺の碑にある埋骨地3ヶ所の内の1つで、35柱を埋骨したそうです。..