記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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木村久夫歌碑京都市伏見区の妙教寺境内にある、木村久夫の歌碑。 「音もなく 我より去りし ものなれど 書きて偲びぬ 明日という字を」通訳として命令に従っただけで、BC級戦犯として絞首刑となりました。
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戊辰之役東軍戦死者之碑(妙教寺)京都市伏見区納所北城堀の妙教寺にある戊辰之役東軍戦死者之碑。子爵榎本武揚書で、明治40年(1907年)に京都十七日会により建立されたそうです。また、妙教寺では毎年2月4日に、本堂で法要を営んでいるとの..
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淀城跡淀城は元和9年(1623年)、大坂城などとともに西国に睨みを利かすことを目的に、宇治川、桂川の合流付近の川中島、現在の京都市伏見区の京阪電気鉄道淀駅の南西に築城された城で、現在は淀城跡公園となっていま..
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石清水八幡宮平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮から京都盆地南西の男山山上に勧請された神社で、宇佐神宮・筥崎宮とともに日本三大八幡宮の一社です。源氏が武神として信仰し、当社から各地に八幡宮が勧請されていきました。..
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寺田屋騒動記念碑文久2年(1862年)4月23日に、現在の京都市伏見区の寺田屋で発生した事件の碑。この寺田屋で島津久光の上意により薩摩藩尊皇派が鎮撫されました。 碑の前には、もう一つの寺田屋事件の坂本龍馬の像も建てら..
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寺田屋寺田屋は江戸時代末期に現在の京都市伏見区にあった旅館。文久2年(1862年)の薩摩藩による尊皇派志士の鎮撫事件、また、慶応2年(1866年)の伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の現場として知られています。..
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弾痕(伏見魚三楼)慶応4年(1868年)1月3日、鳥羽伏見の戦いで新政府軍と幕府軍が激突。新政府軍陣営の御香宮と、幕府軍陣営の伏見奉行所の中間に位置していた料亭「魚三楼」の表通りに面する出窓の桟と柱に当時の弾の跡があり..
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伏見奉行所跡慶應4年(1868年)正月3日の鳥羽伏見の役で、会津藩兵、新撰組隊士たち幕府側は伏見奉行所を拠点にしましたが、御香宮神社から大砲による砲弾が撃ち込まれて奉行所は炎上、幕府側は壊乱し撤退していきました。..
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伏見の戦跡碑京都市伏見区の御香宮神社境内にある、鳥羽伏見の戦いの跡を示す碑。慶応4年(1868年)正月3日、御香宮に陣を構えた薩摩藩将兵800人と、伏見奉行所に入った会津藩を主とした幕府軍1500人が、激戦をしま..
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山脇東洋解剖碑所在墓地杉田玄白の解剖の17年前の宝暦4年(1754年)、山脇東洋は六角大宮にあった六角牢獄で刑死人の解剖を行い、解剖記録『臓志』を記しました。その後も解剖を続け、14柱の供養碑が誓願寺の墓地に建てられたそう..
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南禅寺三門藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るために寄進したもので、京都三大門の一つに数えられています。 石川五右衛門の「絶景かな絶景かな……」の名科白で知られています。
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若宮八幡宮京都市下京区若宮町にある神社で、東山にある若宮八幡宮の前身の神社。源氏累代の屋敷であった六条堀川館のあった場所とされ、源義家の生誕地、土佐房昌俊が源義経を襲撃した堀川夜討が起こなわれた場所とのことです..