記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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妙見寺城跡元々は妙顕寺があった所でしたが、豊臣秀吉が寺を他所へ移転させて、ここに館を造営したそうです。そして聚楽第をつくるまでの間、秀吉がここを京都の政庁としていたとのことです。当時は天主もあったそうですが、現..
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閑院跡二条城近くにあった平安時代から鎌倉時代初期にかけての藤原氏邸宅跡。当初は藤原冬嗣の邸宅でしたが、藤原公季が伝領してから「閑院」と称し、高倉天皇の時から90年以上にわたり、里内裏として使われたということ..
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東三条院址東三条殿(東三条院)は平安時代に現在の京都市中京区に建てられた邸宅。摂関家当主の邸宅の一つで、特に11世紀後半からは摂関家の象徴的邸宅として重視され、保元の乱の舞台ともなったところだそうです。
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高松殿跡醍醐天皇の皇子源高明の邸宅で、高明の娘が住み高松殿と称されたとのこと。後に後白河天皇がここで即位して高松内裏とも称されたそうです。保元の乱の際には、後白河天皇の本拠地ともなった所です。
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三条西殿跡京都の三条通りと烏丸通の交差する交差点の北西角にある烏丸ビルのある辺りが三条西殿跡ということで、白河法皇、鳥羽上皇、待賢門院の御所があり、院政時代の政治の中心地だったそうです。
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三条東殿跡平治元年(1159年)12月9日の夜、源義朝は軍勢500余をもって三條東殿を襲撃、後白河法皇をここから連れさって幽閉し、かくして平治の乱が勃発。烏丸通と姉小路通の交差する交差点の南東角に碑が建っていま..
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高倉宮跡後白河院の第3皇子でありながら不遇の身であった以仁王の御所の跡。三条高倉にあったことから高倉宮と呼ばれていたということで、ここから平家追討の令旨が各地の源氏に発せられ、源平の争乱が始まりました。
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京都電信電話発祥の地京都市中京区三条通東洞院、NTT京都支店の南東角に建つ碑。この地に、明治5年(1872年)、西京電信局が設置され、明治30年(1897年)には京都電話交換局が設置され,交換業務が開始されました。
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本能寺織田信長が家臣の明智光秀によって討たれた「本能寺の変」で有名なお寺。境内には信長公廟や本能寺変戦没者合祀墓などがありますが、本能寺の変当時の寺は別な所にあり、その後、現在地に移されてきたものです。
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古高俊太郎邸跡古高俊太郎は近江国出身の幕末における尊王攘夷派志士。古道具商枡谷喜右衛門を名乗り、情報収集と武器調達にあたりましたが、新選組に捕縛され、厳しい拷問の末自白し、池田屋事件へとつながりました。
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出雲阿国像出雲阿国は、かぶき踊りの創始者とされる安土桃山時代の女性芸能者。このかぶき踊りが女歌舞伎、さらに現在の歌舞伎へと変遷してきたとのこと。京都南座の近く、四条大橋の北東袂に出雲阿国の像が建てられています。..
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崇徳天皇御廟崇徳上皇は保元の乱に敗れ、四国の讃岐で非業の死を遂げられました。上皇の寵愛を受けた阿波内侍が上皇の遺髪でここに塚を築いたとのこと。京都市東山区祇園町南側(祇園甲部歌舞練場敷地内)にあります。