記事「哲学」 の 検索結果 6169 件
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近代の本質 ---『ヴァーグナーの場合』からニーチェのこの近代の本質の捉え方は重要だ。とりわけわれわれがこの克服のためにどのような方途を取りうるのかを考えるために。無差異的な自然回帰などではないのだ。 > --- しかし、バイロイト..
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絶対平等即絶対差異ある学生のレポートを読んでいた思ったこと。わたしの、基本概念を語ればこういうことになるだろう。 絶対平等即絶対差異。そして差異を常に差異の再生産の中に置き、研ぎ澄ますべきこと。 「..
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富士山が見えた朝の五時前、四ッ谷の宿泊先から外を見たら、富士山が見えた。当たり前のことなのかもしれないけれど。急いでカメラを持ち出して撮った。 昨日から東京で哲学の講義。初日の授業がまずまずうまくいったの..
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戦わないこと(四) 「わたしは生かされている」 FW. 276. ――「ニーチェ探検」(2-4)この『悦ばしい知識』(Die Fröliche Wissenschaft) 276のアフォリズムからもうひとつ引いておこう。 > 新しき年に---私はまだ生きている。私はまだ考える..
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戦わないこと(ニ) 「運命愛と美」 FW. 276, 339. ――「ニーチェ探検」(2-2)『悦ばしい知識』(Die Fröliche Wissenschaft)276のアフォリズムの中で、ニーチェもまたみずから「戦わない」という生き方をする、と語っている。次のようなものだ。..
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戦わないこと一 「堀文子の脱走論」 ――「ニーチェ探検」(2-1)堀文子は『ひとりで生きる』(2010年求龍堂)の中でこう言っている。 >人に屈伏しないためには、闘わなければなりませんが、私は闘うのが嫌いです。そうなると、脱走するしかない。こんな子どもじ..
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宮沢賢治とニーチェ 「夕べの太陽の幸福」 --- ニーチェ探検(1)宮沢賢治とニーチェ 「夕べの太陽の幸福」 --- ニーチェ探検(1)『悦ばしい知識』337 --- 宮沢賢治は、『注文の多い料理店』の序のなかで、次のように言っている。 >..
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昨日の沖浦先生の話昨日の沖浦先生の話、そのエッセンスは、「ひとは排泄物に関ることを穢れとし、それに関る仕事を賤職としてきた。しかしそれは間違えではないか」という主張だと理解してよいのだろうか? わたしはそのよ..
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明日の哲学の授業明日の哲学の授業、午前中はフーコーのディシプリン的権力の分析の要点を講義する予定。身近にあって取り囲み、人をがんじがらめにして行く権力を分析する技術を教えなければいけない。ただその背景にある「..
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鶏と快癒の哲学そういえば(小泉文夫とインドネシアの鶏のつづきだが)、アスクレピオス神殿への供犠も雄鶏を捧げるものだった。この供犠はコス島からはじまったらしいが(ケレーニーによる)、どちらも太陽の来訪、夜明け..
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パスカル『パンセ』(中公クラシックス、他)「クレオパトラの鼻がもしもっと低かったら……」、「人間は考える葦である」、そんなパスカルの箴言に今の若い人たちは触れたことがないのかもしれない。パスカルの名は現今ではむしろ「ヘクトパスカル」という..
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無限責任会社哲学者とは何だろう? 知恵の友だ。 友とは何だろう? その相手に対して無限の責任を負う者のことではないだろうか。 そうであれば、哲学者は知恵に対して無限の責任を負う者のことだ。 そん..