記事「安岡正篤」 の 検索結果 308 件
-
【学んで覚める】人間、学ばないというと、つまらぬことにどこまでも迷って、ぼんやりと眠っておるのと同然、何もわからない。 しかし、学べば星が輝いておるように心中明るく冴える。 学んでも覚めなければこれは学ばざる..
-
【六中観】要するに、少数の真剣な求道者のみが時勢の運命を徹見し、社会を善導することができるのである。 能く一隅を照す者にして始めて、能く照衆・照国することもできるのである。微力をあきらめてはならぬ。 ..
-
【六中観】忙中閑有り 忙中に掴んだものこそ本物の閑である。 苦中楽有り 苦中に掴んだ楽こそ本当の楽である。 死中活有り 身を棄ててこそ浮ぶ瀬もあれ。 壺中天有り どんな境涯でも自分だけ..
-
【応対の妙】人は応対によって、まず決まってしまう。 武道などをやると、なおさらよくわかるのでありますが、構えた時に本当は勝負がついている。 やってみなければわからない、などというのは未熟な証拠でありま..
-
【読書百遍】私は数えで六十四歳だが、七歳のときに四書――『大学』『中庸』『論語』『孟子』の素読を始めてから、もう五十七年も本を読んでいるわけだ。 そうすると思想的な書物、精神的な書物は、手に取って見ると、こ..
-
【学問は人間を変える】学問は人間を変える。 人間を変えるような学問でなければ学問ではない。 その人間とは他人のことではなくて自分のことである。 他人を変えようと思ったならば、先ず自分を変えることである。 ..
-
【幸と福 2】そうではなくて原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。 福という字がそれをよく表しておる。 示偏というのは神さまのことだ。 示というのは上..
-
【幸と福 1】「さいわい」にも幸と福と二字ある。 学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。 たまたまいい家庭に生まれたとか、思いが..
-
【人物の見分け方 2】臨喜臨怒に涵養を看るは、喜びや悲しみに際して恬淡としているとか、どんなに怒るかと思っていると悠揚としているなど、平生深く養っておればそれが出ることだ。 群行群止とは、大勢の人間と一緒の行動をして..
-
【人物の見分け方 1】「大事・難事には担当を看る。 逆境・順境には襟度を看る。 臨喜・臨怒には涵養を看る。 群行・群止には識見を看る」 これは呂新吾の呻吟語に出てくる言葉であるが、大事難事がおこったときは..
-
【王陽明の抜本塞源論 2】その教を要約すれば、ややもすれば見失い易い道心を把握して、人倫を厚くすることに過ぎない。 根本はここにあって、学問ということもこの事を出るものではなく、ただ親に孝に、その長に弟に、心体の同然に復..
-
【独りを楽しむ】真に自己を社会化するためには、常に自己を深めねばならぬ。 真に人を愛するには、かえって独りを楽しむ者でなければならぬ。 浅薄な利他と同情とは最も徳の賊である。 ■安岡正篤のことを..