記事「日本の歴史」 の 検索結果 495 件
-
談山神社の神饌 「百味の御食」談山神社は飛鳥の後ろの山深い多武峰の山中にある。したがってアクセスが悪くて、なかなか行く機会がなかった。けれども昨年こちらの神社に奉納された神饌の写真を見て、とても興味を持った。各地の神社や寺院には..
-
談山神社と多武峰縁起絵巻藤原鎌足の次男の藤原不比等は律令制の形成期に活躍し、その後の藤原氏の繁栄の基礎を作り、奈良に興福寺を創建した。 一方、僧侶であった長男の定恵は唐から帰国した後に、父の墓を摂津から大和の多..
-
新撰組の八木邸から島原へ二条城を南下していくと新撰組ゆかりの壬生寺がある。 壬生寺のすぐそばに京都鶴屋がある。八木家の何代目かが始めた和菓子屋で、そちらで抹茶と和菓子つきの入場券を購入して、新撰組が誕生した..
-
クナシリ・メナシの戦いと「 夷酋列像」私は「 夷酋列像」を見ていて、アイヌの有力者は山丹服(蝦夷錦)を身にまとっていたと理解していた。ところが、彼らは松前藩によって山丹服を着せられていたのだった。当時クナシリ島とメナシ地方は松前藩の代理..
-
「夷酋列像」山丹服を着た酋長ツキノエの絵は蠣崎氏の家老で画家でもあった蠣崎波饗が1790年に描いた夷酋列像のうちの一枚である。「夷酋列像」はアイヌ民族文化研究センターと北海道開拓記念館とを統合して昨年開設された..
-
山丹貿易文化学園服飾博物館に行ったときに印象に残る衣装があった。中国の清朝の衣装で、他の衣装に比べて群を抜いて手が込んでいた。その衣装は北海道の博物館だったか、国立民族学博物館だったかアイヌとの関連で見たこ..
-
五代友厚今日の「あさが来た」を見たら五代友厚が大久保利通が暗殺されたと言ってあさによりかかり涙を流していた。これってあり得ない。五代友厚はもともと勇猛で知られる薩摩藩士である。大坂事件では土佐の武士たちが切..
-
日本橋から舟巡り兼ねてからの念願の舟巡りを体験した。まずは日本橋から乗船する。今はとても人気らしく20人乗りぐらいの舟は一杯だった。最初に日本橋水門をくぐって亀島川に出る。少し下って亀島川水門を出ると隅田川に出る..
-
永青文庫 春画展今日は夏の終わりに友人と約束してあった、春画展を見に永青文庫に行った。家人や、たまたま会った人にこれから浮世絵を見に永青文庫に行くのだというと、皆さん特別展で何をやっているのかわっている様子。どう..
-
高麗山から高來神社 大磯5東海道大磯駅の北側の浅間山から高麗山にかけては標高200m近くある尾根が続く。歩いてみると地形が急で、深山のおもむきとはいえ、大磯丘陵と名がついている。高麗山の頂上には神社の礎石が残っている。 ..
-
鳥獣戯画展へ東京国立博物館に鳥獣戯画展を見に行った。 9時に正門で待ち合わせて、甲巻にたどり着いたのはお昼だから3時間待ったことになる。これって小学生の時に東京タワーに登って以来。
-
芦田城しだれ桜の光徳寺から、向かいの山に「史跡 芦田城」の看板が見えた。 寺を出て道を行くと芦田城入口の小さな看板があった。蓼科に行くときにいつも通りかかっているのに気がつかないでいた。曲がっ..