記事「日本の歴史」 の 検索結果 495 件
-
「吉野の川上」 丹生川上神社上社旅の最後に丹生川上神社下社に続いて上社(かみのやしろ)に寄る。白洲正子の「かくれ里」にある「吉野の川上」の文章を読んで以来この地に憧れ、やっと来ることが出来たのだ。ここは1392年に足利義満の斡旋に..
-
「従是女人結界」 大峰山いわゆる修験道の本場の大峰山は山上ケ岳を指し、女人禁制である。女性は代わりにその隣にある稲村ケ岳に登るか、天川神社本宮のある弥山から紀伊山地最高峰の八剣山に登ることになる。いずれにしても、今回の旅で..
-
丹生川上神社 下社丹生津比売神社に行ったので下市町の丹生川上神社下社と、川上村の上社に参詣した。丹生川上神社には3社あり、あと一つは東吉野村の中社であるけれど、そちらには行けなかった。丹生という名前がついているけれど..
-
天河大辨財天社(天河神社) 高野山から天川村へ天河大辨財天社(天河神社)は飛鳥から奈良時代に活躍した役行者がひらき、弥山山頂(1895m)に奥宮(弥山神社)がある。弘法大師はここで本格的に修行した。つまり、大変に由緒のある神社である。 ..
-
丹生津比売命を祀る御社 壇上伽藍壇上伽藍は一段高いところにあるのでその名がついた。金堂・根本大塔・御影堂・大会堂・不動堂・西塔・東塔など高野山の中心になる伽藍が並ぶ。その中で今回興味深く思ったのは、西のはずれにある御社(みやしろ)..
-
苔の奥の院参道 高野山奥の院の参道を歩いていて、つい気になるのは苔のこと。苔は山際の墓所に多い。 毛を狩る前の羊毛みたいな苔が目についた。 ヒノキゴケだと思うけれど、空梅雨のせいだろう乾燥している。 ..
-
丹生津比売神社裏紫都子氏を講師に迎えての高野山研修に参加した。高野山の前に丹生津比売(にうつひめ)神社に行く。丹とは水銀を含む辰砂(硫化水銀を含む赤い土)のことを言い、その鉱脈を丹生という。丹生は中央構造線に沿っ..
-
白洲正子「かくれ里」 高野山から川上村へ以前は大宮駅発、南浦和経由で奈良に行く長距離バスがあった。バスで関西に行くときは大概は東京駅からなので、南浦和から直接乗れるというのが気に入って何回か利用した。自転車を持って行くのに都合がいいのだ。..
-
春日神鹿御正体 大神社展気が付いたら東京国立博物館の大神社展が明日までだったので、午前中に行ってきた。西洋美術館のラファエロ展の前は行列で、それに比べると入口がすいていた。でも中に入ると最終日の前日はやっぱり混んでいた。 ..
-
東国と西国学生時代の前半は山の方を向いていたので、旅行をしなかった。けれども後半は東北と九州に放浪のような旅を何回かした。その時に両方の土地の人々の違いを感じた。当時の東北は北に行くほど方言が強かった。青森県..
-
馬具と将軍山古墳 埼玉古墳群Ⅲ前回、埼玉古墳群に行った30年前には将軍山古墳の内部を見る施設はなかった。今は古墳の下が展示館になっている。将軍山古墳は6世紀末の前方後円墳である。 石室内部が再現されている。 副葬..
-
小石川後楽園と朱舜水・光圀・慶喜小石川後楽園で印象に残るのはアーチ型石造の円月橋だ。中国風なところが他の庭園にない雰囲気を醸し出している。 説明板によると、「朱舜水の設計と指導により名工「駒橋嘉兵衛」が造った。橋が水面に写..