記事「歴史」 の 検索結果 41439 件
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「忘れ残りの記」この本は何よりも、吉川英治の「母を恋うる記」である。 (因みに吉川英治は「母を恋うる記」を書いた谷崎潤一郎より6年年少である) 「人に語っておもしろいものではない」という著者の謙遜..
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「日本のいちばん長い夏」今夏も何人かの訃報を聞いた。 当然のことなのだけれど、死者が持っていた記憶もまた失われてしまったことに改めて気づいては、何かとりかえしのつかないような思いがする。 遅すぎるのだ… ..
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「想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行」を読む本書の初訳は、ベネディクト・アンダーソンの教えを受けた白石隆・白石さやによって行われ、1987年に東京で出版されている。 当時はずいぶん話題になった書物であったようで、もはやナショナ..
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崇道神社京都に来ると反射的に御霊信仰のことを考える。 平安京を見舞う災害、疫病などはすべて、恨みをのんで死んだ霊の仕業であると考える信仰のことである。 現代に生きる我々は即、迷信として片づ..
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蓮華寺にて出町柳で叡山電鉄に乗り換え、三宅八幡で降車する。 一つ先は終点の八瀬比叡山口駅である。 比叡山の麓、八瀬の里を訪ねたのは、祇園祭がはじまった日のことだった。 京都は市街地から..
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西本願寺にてしら珠の数珠屋町とはいづかたぞ 中京こえて人に問はまし 馬鹿のひとつ覚えとはよく言ったもので、日照りの京都を歩いている時必ず口をついて出てくる歌がある。 季節も、またどのような..
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東本願寺の朝京都タワーの上空の雲が右から左へと流れてゆく。 最下層の雲は反対に左から右へとゆっくり動いているようだ。 少し目を放した隙に「空模様」はもう一変しているのだ。 梅雨時は何事も..
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ペリーロード下田公園で紫陽花見物をした後、通称ペリーロードを歩いた。 昔は遊郭だった地域で、今もそこはかとない風情を漂わせている。 掘割にかかる柳の緑、石橋、なまこ壁の蔵 置屋か揚屋か、かつ..
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寝姿山展望台より下田港を望見する俗に、京島原の太夫に、江戸吉原の張り持たせ、長崎円山の衣装着せ、大阪新町の揚屋にて遊びたし、などと言われたそうだが、 これは100%以上の満足を得ようとする見果てぬ夢だ。 (男性は..
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岬へ… 石廊崎灯台へ海があればわけもなく岬の突端を目指してしまう。 川であれば源流を確かめたくなり、山があれば頂きを極めてみたくなる。 寺でさえ奥の院はどこか秘密の基地めいて、誘われるのだ。 「..
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源氏哀話 修禅寺物語桂川の両岸に山が迫り、その間を温泉街が細長く続いていた。 修善寺温泉バス停で降り、干しシイタケを商う店やこじゃれたカフェの並ぶ道を歩く時も、車をよけるために、しばしば立ち止まらざるを..
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伊豆の良寛 新井旅館にて朱塗りの楓橋の上流は、アオモミジが鬱蒼と渓流に影を落としていた。 橋の袂に古びた旅館があり、窓辺の椅子に座って寛ぐ人がガラス戸越しにちらりと見える。 国の登録有形文化財に指定されて..