記事「江戸時代」 の 検索結果 1676 件
-
築地門跡後ろ堀数馬屋敷へ、百姓門訴騒動一件小普請組、小笠原弥八郎支配 高二千石 堀数馬 六十四歳 右高二千石の内八百三十石の知行所、上州群馬郡渋川在半田村、七か年前に水損致したに付、新田開発相願う処、早速開発の由申し聞き置き、年貢上納は..
-
遊女やす浅草山宿町 所持地面仮宅罷在 新吉原江戸町一丁目 家持遊女屋山三郎抱 遊女やす事 花岡 其の方義、武家方の娘にて、実父病死後見相勤める処、出奔致したに付、母ふき義姉いのを連れ屋敷を退身致し、駒込..
-
浅姫安政四年五月十九日 松栄院様御逝去、御年五十五、松平越前守斉承(※1)室、浅姫君 右、太政大臣家斉公(※2)十七女、享和三年十二月十日御誕生、表向き御弘無く、同月廿四日浅姫君と内々御名弘め、御..
-
牛込宗参寺狐一件宗参寺(※1)、雲居山と号し、寺領十石、曹洞宗開山宥栄禅師牛込勝行、父重行菩提の為、天文十三甲辰年(※2)建立、美田四十斛(※3)を寄付す。雲居院殿前の大胡大守実翁宗参は大胡重行の法号也。号を以って山..
-
富山家騒動一件越中新川郡富山城主(※1) 高拾万石 下谷池之端 松平大蔵大輔(※2) 右の者嘉永七年二月家督相続致し、今度初めて在所へ御暇(※3)に付、四月廿五日上使、御使番永見健次郎を以って、巻物共下され..
-
猿若町三丁目森田座舞台にて、狂言事に大騒動一件いつの世も演劇や映画に感情移入する人は多くいるが、この人の場合最も激しかったようだ。さらに悪い事に、この時代の人は刀を持ってる。 森田勘彌座、三月十五日より新狂言入船曽我日本の取梶(※1)四番続..
-
谷中天王寺化猫一件根岸幸新田 百姓 伊右衛門 同人二男 元次郎 右伊右衛門は、根岸笹の雪横町より三河島へ行く端れの家にて、相応の百姓にて男子三人有り。然る処当正月末頃より、猫壱疋折々紛れ来たり居る也。白斑に..
-
正月廿日、昼八ツ時頃打壊し一件芝赤羽橋手前永井町代地的場屋敷 蕎麦屋にて料理屋 増出庵 右増出庵は、是迄蕎麦屋の処、去冬普請、欅作り破風屋根にて龍の彫り物致し、恰も宮殿哉と疑い、往来の眼を驚かす程の結構善実を尽くせし普請な..
-
確堂松平三河守 名代 高木主水正 勝手向き従来不如意の所、震災其の上風損にて、臨時用途相嵩むに付ては、此の末確堂へ手当行き届き兼ねる心配致すに付、御合力の儀相願われる趣御聴に達した処、是迄年々御手..
-
十一月廿六日、相撲初太鼓也東 猪山森右衛門 御用木雲右衛門 雲龍久吉 谷風市蔵 荒熊力之助 殿 勝五郎 響灘立吉 武蔵潟伊兵衛 一力長五郎 白真弓肥太右衛門 和田原甚四郎 西 階ヶ嶽竜右衛門 宝川石五郎 境川浪右衛門 春..
-
深川網打場人殺一件三浦志摩守(※1)家来、留守居 神原三蔵 深川松村町、里俗網打場(※2)、即死 家主 宗七 同 同 庄吉 同 同 つたや渡 清右衛門 名前人 堀江町、駿河屋 源四郎 源四郎に頼まれ切込..
-
永井玄蕃頭へ申し達する、写安政三年に長崎海軍伝習所の総監永井 尚志(ながい なおゆき)へ宛てた幕府からの書状の写しである。 六月七日、次飛脚に申し遣わされ、永井玄蕃頭へ申し達する。 阿蘭陀貢献の蒸気船を以って、運用..