記事「江戸時代」 の 検索結果 1676 件
-
御広敷添番、酒狂いにて召捕えらる一件御広敷添番 百俵五人扶持 四ツ谷鮫ヶ橋町 三浦金十郎 右の者浅草辺りへ所用にて罷り越し、帰りに親父橋大和田と申す鰻屋にて酒食致し、酒狂いの上、取り留めず難題申し懸け、あばれ騒ぐ故、家内こまり..
-
松平陸奥守家来勝手より内意申聞書付松平陸奥守(※1)義、勝手向連々不如意に御座る所、去る天保度両度の大凶作にて国中疲弊、多分の荒所等出来、其の上天保十二丑年、代替わり物入り多端(※2)、同寅年上野御霊屋御建継語修復御用仰せ付けられ、同..
-
十月十九日落着御仕置北御番処御懸り 入墨 松五郎(三十二) 此の者義、先達て不届き有り、入墨の上、重擲又は中追放御仕置に相成り、追って申渡す義有り、溜へ預け申し置いた処、右の者佐州(※1)へ水替人足(※2)に差..
-
浅草大溜より火燃立つ節、逃去った者浅草溜(※1)牢、四月十九日夜九ツ時過ぎ、牢内より火燃え出すに付、番人錠前明ける拍子に、内よりキメ板(※2)を以て敲き散らし、右紛れに十四人逃去ったよし。右発頭人は本所無宿御家人の由、松五郎、四ツ谷無..
-
篤姫四月二日 松平薩摩守へ達する書付 先達て内々相達した通り、其の方娘、近衛殿御養女に仰せ出され、御縁組在らせらるは、御由緒柄御親も弥増し心悦の御事にある間、右の趣京都へ御内談仰せ進められた処、思召も..
-
阿部伊勢守之供廻り、四ツ谷法蔵寺芝居にて喧嘩今日阿部伊勢守初にて、諸役人凡百騎、駒場屋より小金井辺へ乗廻し有り。右の内阿部の供廻り、四ツ谷法蔵寺芝居にて喧嘩。 五劫山法蔵寺は浄土宗増上寺末なり。三州法蔵寺の写しにて、天正十九年の草創也。元..
-
成田山開帳下総国成田山新勝寺 本尊不動明王幷に二童子 弘法大師御作、霊宝天国宝釼等 三月廿日より六十日間、深川八幡境内に於いて、開帳令拝もの也。日延べ十日。 右開帳参詣大群集也。日延べ有り、六月朔..
-
成田不動開帳到着に付、御船手水主乱妨狼藉の事千住宿より朝五ツ時出立にて、深川八幡迄の道筋、左の通り。 下谷三輪町通り、ぬ組鳶中、酒施し場所一ケ所、夫より左横町へ曲がり、吉原土手へ廻る。同所土手入口にて、り組鳶中、前同断一ケ所、大門口高札場..
-
肥後熊本、生人形細工人 松本喜三郎大夫元(※1) 小島万兵衛 入口招き人形近江のおかね、夫より浅茅原一ツ家、水滸伝、為朝島巡り、粂の仙人、吉原仮宅黛の部屋、忠臣蔵夜討、夫より仕廻が鏡山御殿場、仕合の処、都合人形七十二番、木戸銭..
-
浅草奥山生き人形、水戸中間喧嘩一件生き人形というものを知らなかったので、ネットで「生き人形 江戸時代」で調べてみて、あまりのリアルさにびっくり。 水戸中納言御父子、御鷹野にて小梅下屋敷へ御出で、御供侍の中間七、八人にて、此度大評..
-
御老中堀田備中守、西丸下屋敷へ引移りに付、猫狩一件堀田備中守小川町居屋敷、去十月二日夜地震で潰れ、其の上類焼に付、立退場渋谷下笄橋下屋敷に罷り在る処、同九日加判列(※1)仰せ付けられ、西丸下御屋敷松平伊賀守・松平玄蕃頭屋敷を下された処に、右屋敷も地震..
-
常州府中宿親敵討一件 Ⅱ口上書覚 溝口主膳正家中、丹波平太夫組榎本周吾申上げる。 同家中三浦彦太夫組飯島量平儀は、拙者甥である処、去卯十月廿一日暁七時、同人宅へ宮北勇五郎組飯島惣吉忍び入り、量平母を殺害に及び、姉しも義深..