記事「江戸時代」 の 検索結果 1676 件
-
浅草奥山軽業にて、坊主喧嘩の事二月十八日より浅草観世音開帳につき、大坂新下り軽業玉木勝代綱渡り乱柱渡りの大評判にて、見物群衆致す処に、此節開帳に付、別当伝法院へ諸方より坊主数多集まり居る処、右の内二,三人見物に参った処、大入りに付..
-
三月六日、五拾三間御宝蔵、御手元金入三箱紛失江戸城内の宝蔵が破られ、金三箱を盗まれる。それを受け、南町奉行所は両替商に通達を出し、その徹底をはかるが・・・。 五拾三間御宝蔵、但し分銅入の御蔵、慎徳院(※1)様御遣残し御手元金入三箱紛失致し..
-
掛け碁・将棋にて召捕る一件浅草山之宿町 平野杢輔 右杢輔義は囲碁五段位、将棋三段位、双六古今上手の由、然る処平日掛け碁・掛け将棋の上、剰(あまつさえ)博奕宿に貸取致す所、今夜加役方久須美六郎左衛門殿御忍び廻りにて踏込み、..
-
於吹上、乗馬上覧遊ばさる安政2年1月28日、譜代大名・高家・奏者番らによる乗馬上覧があった。総勢87名。藤岡屋はその様子を取材している(直接見たわけではないだろうが)。武士とはいえど、乗馬が得意だった者ばかりでは無い様だが、..
-
仙台屋敷人殺し一件去年勤番に参った西城戸逸平と申し、千石取の由、放蕩にて品川通いに遣い捨て、重代の刀を出入質屋、八官町、近江屋喜左衛門方に二十両で質入れ致し、右刀の義に付喜左衛門を殺害致す。 右西城戸逸平先祖奥羽..
-
江川太郎左衛門屋敷文化十四年(1818)、御代官江川太郎左衛門、豆州韮山屋敷修復に付、御届の写 豆州韮山私屋敷家作の義は、私二十七代以前先祖、保元年中(1156〜1159、大和国宇野より引払う節相建た家作にて、そ..
-
講武所嘉永七年十月八日 阿部伊勢守殿御渡 御普請奉行へ 御旗本・御家人文学の義は、寛政之度、学問所御取建有之、御制度も相備得ども、講武の場所壱ケ所も御取建無く、自然御旗本・御家人、講武の道も相緩み、..
-
九月二日夜 狼藉出逢、討果一件小十人、宮崎次郎太夫組 恵三郎養子 白戸兼吉郎 宿四谷坂町左門横町 右兼吉郎義、夜五ツ時過、武術稽古の義、市ヶ谷新本村町尾州長屋下通りへ出掛けた処、何者共知れず理不尽に切懸り、傘にて請け止め..
-
兄弟三人にて押込み致す可這入り、三人共死罪に行わる事上州無宿 惣太郎(28) 重吉(25) 八百五郎(21) 兄弟三人にて、初めて押込み致し、銭拾三貫七百文盗取り、下女を殺すに付死罪、三人共母に孝行致せども是非無し。 右の者共は..
-
万年青(おもと)盗賊一件閏七月六日 召捕 牛込正定院門前 甚右衛門店 銅壺渡世 雅五郎 (34歳) 右の者生国、越中国魚津、十七ヶ年以前より、両親共江戸へ罷出、深川伊勢崎町へ落着き、夫より奉公に出、六ヶ年以前より牛..
-
孝女やす無宿・京都入墨 磯吉(29) 無宿・京都入墨 寅吉(26) 当時無宿 金蔵(30) 越後無宿 繁吉(25) この者共、一同申合せ、両三人、又四人で徒党致し、町家其の外百五十二か..
-
六月二十六日夜六ツ過頃、住吉町に親の敵射有之討候者 交代寄合、本堂内膳元家来浪人 太田六助 水野出羽守家来 浜町中やしき住居 山田金平 今暮合、江戸橋にて買物致し居るを見付、夫れより付け狙い来る処、住吉町(注1)手前にて新内..