記事「江戸時代」 の 検索結果 1676 件
-
浮世又平大津絵 Ⅲ雷 大筒稽古にアメリカ人 かみなりでおこしぶつきりアメリカの とけてながるる日の本のとく 1、評、大筒の音は雷の如く諸人を驚かし、碇にて浅深をはかるも人に嫌がられる敵役、臆病者はいっそ奥山へ逃げ..
-
浮世又平大津絵 Ⅱ福禄寿 十三代目 疳症だ抔とわらいし見物も いよ坂三津が再来の芸 1、評 文政7年の御生れ、生得利口成ど、御病気故に首を振りてきゃっきゃっと欠歩行、故に軍配団扇の印に九棒には少しなひ、中が赤ひと..
-
浮世又平大津絵 Ⅰ嘉永6年大評判の一勇斎国芳筆の浮世又平大津絵のはんじものには、12人が登場し、それぞれ評が付く。その登場人物が誰かよく分からないため、ネットで拝見した加藤好夫氏の「浮世絵文献資料館」から一部引用させて..
-
嘉永6年7月22日巳下刻、公方様薨御、御寿61歳、従一位左大臣、征夷大将軍嘉永6年徳川家慶が亡くなった。7月29日の御出棺当日北拮橋門から増上寺まで、御道筋固めについて町奉行所より指示があったが、それについて町方一同で申合せがあった。 申合 1、御出棺御当日、麹町・..
-
嘉永6年6月浦賀表へ異国船渡来嘉永6年6月にはペリー一行が浦賀へ現れた。しかし、この時江戸は、市ヶ谷田町で起きた井戸掘り7人即死事件で持ち切りだったらしい。市ヶ谷田町の湯屋が井戸を拡張しようとした工事をした所ガスが発生し、中で休憩..
-
古今珍しき小蔵とめくら、親孝行にて御褒美之次第本所松倉町 忠蔵店 倉吉忰 藤太郎 十三才 其方義、柔和成る性質にて、其日雇稼致し、母しま、其方五才の節相果、追々困窮に及び、店相仕舞、去る戌年中迄知る人方に父共々同居致し、其の後当店借受け、..
-
猿若町二丁目市村座、相撲取と喧嘩一件右喧嘩発端は昨20日市村座へ相撲年寄世話役の由申して、女3,4人連れで見物に参った処、右二丁目芝居は前々より相撲桟敷とて取退はなく、女中の分は相断った処、相撲にては先達て中村福助方へ相撲より贈り物等も..
-
錠前付千両箱 Ⅱ可庵人相書 本所割下水 御材木石奉行、青山欽之助地借 小林采女事 千賀渕三 別名可庵 1.年42,3位 1.中丈痩型 1.色黒くあばた有之 1.前歯二枚、入歯の様に相見え 1.髪の毛うすき方 右..
-
錠前附千両箱 Ⅰ事件は錠前附千両箱がある医師宅へ持込まれた事で発覚した。 御用番松平伊賀守殿へ御登城前に差出した書面の趣 太田摂津守 私家来、本所小名木川下屋敷に住居仕る医師酒井良庵と申す者、当月朔日、..
-
南町奉行所池田播磨守町中御巡見道筋数寄屋橋御門より左へ、元数寄屋町四丁目左へ、新両替町三丁目より京橋御渡、南伝馬町、中橋広小路、通町、日本橋御渡、室町、本町、本銀町、今川橋御渡、神田鍛冶町、鍋町、須田町より筋違御門、神田仲町、旅籠町、..
-
浅草並木にて盲人、侍を切候事千葉左衛門組 御徒 香取源四郎 相手 按摩取 右源四郎は香取検校の忰にて、検校先年御徒の株を買い求め、源四郎に遣わし、検校も右宅へ同居して居った。一体源四郎は身持宜しからず、其の上殊の外酒の..
-
万年青(おもと)高値の鉢植・植物の売買停止の段、去年10月相触れた通り、堅く相守り、金三両以上の品決して売買致さぬよう、相触れ置いたが、その後尚又植木屋幷に素人共、高価の鉢植売買の為集会等致し、如何の義に付き、右様の..