記事「江戸時代」 の 検索結果 1676 件
-
佐々木信濃守右佐々木氏は壮年の頃、小川町土屋向角、奥御祐筆田中唯一方に侍奉公を致していた。或る年の正月、田中氏が具足祝に家来を召出し御盃下され、面々出世を望まぬ者は無いだろうが、此の内にも出世を願う者は有るかとお..
-
神田祭礼之節三十五番 恵比寿の出し 白壁町 右出し、今朝筋違門外加賀原迄引出した処、此処にて車輪折る也、右輪を取替、遅刻して引出す也。 第二番 岩ニ猿の出し 南伝馬町 右出し、上覧所前ニ待居り内、牛..
-
嘉永4年9月15日神田明神御祭礼・附祭附祭:江戸時代、日枝 (ひえ) 神社・神田明神などの祭礼に、町々からの山車 (だし) のほかに余興として引き出す踊り屋台。その上で娘や子供に手踊りなどをさせた。(goo 辞書より) 附祭1 紅葉..
-
嘉永4年9月15日神田明神御祭礼番組現在は5月に行われている神田祭。今は各町会の神輿宮入がメインだが、江戸時代は現在の神幸祭のような出し物の練り歩きが中心だったらしい。当時の様子は天保5年に斎藤月岑が出版した「江戸名所図会」で誰でも見る..
-
京橋常磐町寄喧嘩一件京橋常磐町 佐野松の寄 鳶 金太郎 岡崎本多抱 陸尺 怪我人三人 8月14日夜陸尺三人参りて大騒ぎして帰り、翌15日夜十人計来り、無銭にて揚がり騒々しく致すので、外の客に障りの旨申すと、..
-
佐倉宗五郎新狂言大評判嘉永四(1851)年、歌舞伎に新しいヒーローがうまれた。「東山桜荘子」(ひがしやまさくらのそうし)の主人公浅倉当吾こと佐倉惣五郎がその人である。百姓一揆がテーマであるこの作品は、関係者の予想をはるかに..
-
佐久間町家主宅にて侍召捕らる一件佐久間町壱丁目家主 安兵衛 稲葉長門守家来 熊五郎こと山本栄之助 同人妾 安兵衛娘 きん 山本熊五郎は 下総領分の郡方を勤め、用弁もよろしく、追々立身し勘定役を勤めるようになっが、外に..
-
神田明神下御台処町女殺し一件私が神田祭で馴染み深い、神田明神下御台所町。この町で170年前、嘉永4年(1851)に何があったのか。 6月27日夜4ツ半過頃 疵4ヶ所請、即死 御台処、幸助店 治郎兵衛妻 すま(45) ..
-
現金 遊女大安売 引手なし御客様方益々御機嫌よく御坐遊ばされ、恐悦至極に存じ奉ります。私見世も、御蔭を以て年来遊女屋渡世相続け仕り、冥加至極有難き仕合せに存じ奉ります。然る処近年吉原町日増しに不繁盛に相成り申す。其根元と申すの..
-
相州鎌倉松ヶ岡御所東慶寺は鎌倉時代の弘安8年(1285)に開創された臨済宗円覚寺派の寺院です。女性から離婚できなかった封建時代に、当寺に駆け込めば離縁ができる女人救済の寺として明治に至るまでの600年間、縁切りの寺法を..
-
海外新話落着一件馬喰町二丁目 板元 菊屋孝三郎 右書物出版の義、願出し御聞済之無きに摺出したる義、不埒に付五貫文過料。 嶺田楓江撰 『海外新話』嘉永2(1849)年 嶺田楓江は幕末の丹後田辺藩士で、佐藤一..
-
国定村忠次郎御仕置一件今日上州国定村無宿忠次、板橋宿より本郷通り昌平橋渡り、神田橋外御勘定奉行池田播磨守屋敷へ送り込まれる。道々にて銭を掴み出し、非人・乞食に遣わした由。忠次事、23ヶ年の間山籠り致したが、此の節中気になり..