記事「江戸時代」 の 検索結果 1676 件
-
桶町一丁目古道具屋銀次郎桶町古道具屋にて、箪笥の隅より金子百両二分(約1,000万円)見付け出し、南御番所へ訴えでた事。 金子見付け出し主 桶町一丁目広右衛門店 古道具屋 銀次郎 箪笥売主 南八丁堀三丁目 藤七店 湯..
-
本芝雑魚場大山石尊大権現は、昔日本武尊東夷征伐の折り、この峯に登って大いなる石に腰を下し、諸方の敵をなびかせたのにちなみ、石を崇めて祭り、開運出世を守る故、男伊達の者共から別して信仰を集めていた。そして、参詣の..
-
身延山久遠寺奥院、深川浄心寺にて開帳甲州身延山久遠寺奥院、嘉永2年7月19日より60日の間深川浄心寺にて開帳。その道筋。成子常円寺未明に御出立、内藤新宿、四ツ谷通り、赤坂桐畑、榎坂、葵坂通り、久保町大橋、八官町通り、南鍋町へ出、尾張町、..
-
下総国香取郡万歳村にて大騒動の件2助五郎は勢力に付け狙われ、心臆して飯岡村には居れず、所々をさまよっていたが、最早別状ないだろうと彼地へ戻った。そして、良いことを思い付いたとて、勢力の身の行いを聞出し、八州方役人へ吹聴した。八州方役人..
-
嘉永2年3月より4月 下総国香取郡万歳村にて大騒動の件1万歳村 無宿 勢力事 佐助(30) 所持の品 1.刀2尺8寸5分一本・鎗穂合口一本 1.鎗穂合口一本・鎗4筋 1、長刀2振・長鉄砲4挺1.短筒2挺・弓1張箭2本添 下総国香取郡万歳村で大騒動あ..
-
正受院その後かくして老婆王大流行となり、奉納物多く、正受院は福地となった。住僧をはじめ所化に至るまで増長し、毎夜ゝ新宿の女郎買い、蒲焼も鼻についてきたから、あっさりと鯉のあらい等と奢っていても、去年大晦日の勘定は..
-
四ツ谷新宿正受院の三途川の老婆王新宿二丁目にある正受院は、庶民の信仰を集め嘉永2年春には参詣客が絶えない流行神となった、と寺の案内にも書いてある。その逸話。 四ツ谷新宿裏町浄土宗正受院に安置されている三途の川の老婆王の縁起は、..
-
近年異国船折々渡来に付き、伊勢守殿御渡し嘉永2(1849)年には異国船が日本近海にしばしば出没し、これにどう対処するかが幕府の焦眉の急となる。以下は老中阿部正弘から三奉行への覚。 近来異国船折々渡来し、昨年は西北海・対州・南部・津軽に..
-
御譜代大名衆、上野へ御参詣の事上野広小路は上野寛永寺へ参拝の為の御成道であり、ここに本郷→厩河岸→本所への通り(春日通り)が交差する。そしてこの交差点に松坂屋があるのは今も江戸時代も変わらない。現代ではこの通りは広く感じるが、複数..
-
皆朱之鎗細川越中守家来沢村宇右衛門先祖、沢村大学介、皆朱之鎗を持てる事。 昔より皆朱の鎗・瑇瑁(たいまい 注1)の鎗は、武功抜群の武士でなければ持つことを許されない。家康公が駿府へ御隠居される折、御城の..
-
弐拾四万二千石土州高知城主 養子隠居の件土佐守豊照養子実弟 松平式部豊淳 養子隠居願いの一件 私は先頃より脚気を煩い、足痛く、座上歩行も難渋する体となって、多紀楽真院・間野寿昌院・辻本山指庵の薬服用、油断なく治療にを尽くしておりますが..
-
嘉永元(1848)申年出版 右大将富士の巻狩りの図建久四年(1193)、右大将頼朝卿の富士の巻狩りは日本三大壮挙と世に伝えられ、その後代々の大将軍の御狩もあったが、御当代は近き小金が原(松戸市)にて、来年鹿狩りを計画している。そして、その準備として昨..