記事「神奈川」 の 検索結果 12038 件
-
護良親王 首洗井戸大塔宮護良親王は後醍醐天皇の第一皇子で建武の新政を支えましたが、足利氏により捕縛され鎌倉二階堂に幽閉中に暗殺されてしまいました。護良親王の首級を奪い取った側近が、ここで御首を洗ったと伝わっています。
-
四つ杭跡大塔宮護良親王が鎌倉で殺害された後、その御首は家臣の手によりこの地まで運ばれてきて、井戸の水で清められたと伝わっています。その際に、4本の杭を打ち祭壇にしたとされる場所が史跡となっています。
-
王子神社横浜市戸塚区柏尾町に鎮座する大塔宮護良親王をご祭神とする神社。護良親王は鎌倉の二階堂で殺害され、その御首は家臣(侍女?)によりこの地まで運ばれてきて埋葬されたと伝わっています。
-
権太坂横浜市保土ケ谷区にある旧東海道を江戸から西へ向かう際、最初の急勾配として知られていた坂。坂の名の由来は、老人に坂の名前を尋ねたところ、 自分の名前を聞かれたと思い「権太」と答えたことからという説があり..
-
権太坂改修記念碑権太坂は横浜市保土ケ谷区にある旧東海道の坂。藤田権左衛門が万治 2年(1659年)8月15日、坂の改修を開始して翌年に完成。坂の名称は坂の改修工事を手がけた、藤田権左衛門の名から由来するとのことです。..
-
一里塚跡・上方見付跡(程ヶ谷宿)宿場の上方(京方)方面の出入り口にあたる上方見付は、程ヶ谷宿の場合には外川神社付近にあったとのことで、また此処には一里塚もあったそうです。保土ヶ谷の一里塚は日本橋から8番目の一里塚です。
-
旅籠屋跡(程ヶ谷宿)東海道の4番目の宿場町である程ヶ谷宿に残る旅籠屋(本金子屋)跡。寛政12年(1800年)頃の程ヶ谷宿の旅籠屋の数は37件でしたが、天保13年(1842年)には69軒になっていたそうです。
-
脇本陣跡(程ヶ谷宿)東海道の程ヶ谷宿には本陣の他に脇本陣が3軒置かれていたそうです。そのうちの一軒が水屋で、天保年間の規模は、建坪128坪(約423㎡)、間口8間(約14.5m)、奥行16間(約29m)、室数14、だった..
-
脇本陣(藤屋)跡東海道の4番目の宿場である保土ヶ谷宿には本陣が1軒、脇本陣が3軒、 それに1軒の茶屋本陣があったそうですが、藤屋は脇本陣の中の1件。 脇本陣は、本陣に差し支えが生じたときなどに利用されていたそうです。..
-
程ヶ谷宿本陣跡程ヶ谷宿は東海道53次の4番目の、東海道では武蔵国最西端の宿場町。保土ヶ谷本陣・苅部氏の祖先は、後北条氏の家臣の苅部豊前守康則で、歴代当主が、苅部清兵衛を名乗ってきたとのことです。
-
金沢横丁横浜市保土ケ谷区、JR保土ヶ谷駅の近くが旧東海道と旧金沢道の分岐点 だった所で、金沢横丁と呼ばれていました。当時名所として知られていた杉田の梅林や金沢八景に向かう人々は、ここから金沢へと向かって行った..
-
高札場跡(程ヶ谷宿)程ヶ谷宿は、東海道五十三次の、江戸から4番目の宿場町。高札場は、幕府や領主からのお触れ等を書き記した木札を掲示した施設で、街道に面した人通りの多い場所に設置されることが多かったとのことです。