記事「神奈川」 の 検索結果 11987 件
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横浜為替会社設立の碑「為替会社」は、我国最初の会社組織の金融機関として全国に8社設立されたものです。その中の一つである横浜為替会社は横浜港での貿易上必要な洋銀券(ドル紙幣)も含め、紙幣を発行するとともに、生糸売込商などの..
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神奈川運上所跡運上とは現在の言葉で言うと税金のことで運上所とは税関のこと。しかし、当時の運上所は税関、外交、港湾などに関する総合的な役所でした。神奈川県庁本庁舎敷地内に神奈川運上所跡の碑が建っています。
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西洋理髪発祥之地横浜の山下公園の中に「ザンギリ」という彫刻名の碑が建てられています。 明治2年(1869年)、横浜に我が国初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風 の「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなりました。..
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旧居留地90番地の大砲居留地90番地にはスイスの商社、シーベル・ブレンワルト商会があり、大砲を錨に造り替えるために置いておいた時、関東大震災で埋没したと推定されています。 昭和34年(1959年)、建物跡地工事中に発見され..
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秋山真之終焉の地秋山真之は、明治~大正期の海軍軍人で最終階級は海軍中将。 日露戦争では東郷平八郎の下で作戦担当参謀となり、バルチック艦隊が 回航すると迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に大きく貢献しました。
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二宮尊徳像二宮尊徳は江戸時代後期の経世家、農政家、思想家で、経世済民を目指 して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導しました。 明治24年(1891年)11月16日に従四位が追贈されています。
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報徳二宮神社二宮尊徳は報徳社を設立して農村の救済・教化運動を積極的に行い、 死後に従四位が贈られました。そして、尊徳を祀る神社創建の動きが起き、明治27年 (1894年)、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に報..
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摩利支天像空間小田原城天守閣の耐震改修工事を機会に、天守閣の最上階に再現された摩利支天像を祀る空間。再現するにあたり、地元小田原市産材を使い、 地元小田原の職人さんや関連団体により事業が進められたそうです。
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小田原城後北条氏の居城だったことで有名な神奈川県小田原市にあった城。 上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えた難攻不落の城でしたが、天正18年 (1590年)、豊臣軍の包囲によりついに落城、北条氏は滅亡しました。
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常盤木門(小田原城)小田原城本丸の正面に位置し、城門の中でも大きく堅固に造られていた門。 常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには松が植えられており、小田原城が永久不変に繁栄することを願って常盤木門と名付けられたとのことです..
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銅門(小田原城)小田原城の二の丸正門にあたる枡形門で、大扉に 使われた飾り金具に銅が用いられたのが銅門の名前の由来とのことです。 天守閣、常盤木門に続き、平成9年(1997年)に復元されました。
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箱根口門跡(小田原城)箱根口門は小田原城の南にあって江戸時代の初期までは大手口だった門。 東の大手口、北の幸田口と共に堅牢な石垣で固めた桝形門でしたが、 現在は江戸時代の櫓門の石垣の一部と土塁が残されています。