記事「神奈川」 の 検索結果 12131 件
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油壺湾三浦半島の南西部にある静かな湾で、ヨットハーバーが整備されています。湾名の由来は湾内が油を流したように静かなためとも、また16世紀に三崎城が落城した際に三浦氏の死体で水面に油が漂ったからともされていま..
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三浦道寸墓三浦道寸(出家前の名は三浦義同)は戦国時代初期の東相模の小大名。嫡男の義意と共に新井城に3年間籠城して北条軍の攻撃に耐えましたが、永正13年(1516年)、ついに落城し家臣ともども討ち死にしました。
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新井城跡新井城は現在の油壷マリンパークのある所にあった相模三浦氏の城。三方を海に囲まれた要害で、三浦道寸・荒次郎父子はこの城に3年間籠城しましたが、永正13年(1516年)ついに落城、三浦氏終焉の地となりまし..
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永昌寺三浦半島の小網代湾近くにある三浦義同が開基と伝わる臨済宗のお寺。もともと康安寺というお寺で荒廃していましたが、三浦義同が天明元年(1504年)に再建し、その法名から永昌寺と改名したと伝えられています。..
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義士塚永正13年(1516年)に新井城が落城して三浦氏は滅亡しますが、この塚はその際の戦死者を供養するための塚といわれています。三浦道寸父子のあとを追って自害した北条方の4人の塚とのことです。
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引橋三浦半島の油壷の近く、国道134号線の引橋交差点の近くにある橋の跡。その昔、三浦一族の本拠地である新井城に通じる橋がありましたが、敵が攻めて来る時には橋を引いて渡れなくしてしまうので、引橋という名前が..
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乱橋鎌倉市材木座の大町四ツ角から九品寺に向かう途中にある橋の跡。元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻撃の際、防戦する幕府軍がこの橋の辺りで乱れ始めたため、乱橋という名がついたという云い伝えがあります。..
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和賀江島相模湾東部の材木座海岸沖、鎌倉市と逗子市の境界に位置する人工島。貞永元年(1232年)に竣工した現存最古の港湾施設で、かつては、南宋などから船が来港していた可能性もあり、国の史跡に指定されています。
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住吉城跡現在の逗子市小坪にあった住吉城は三浦道寸の弟、三浦道香の居城だった城。永正9年(1512年)、北条早雲は道寸の居城であった岡崎城を攻略。道寸はこの城に逃れて来ましたが持ちこたえられず、新井城へと敗走し..
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六角の井鎌倉市と逗子市の境にある井戸で、別名を矢ノ根井とも云い鎌倉十井の一つ。井戸は八角形ですが鎌倉側に六角、小坪側に二角あることから「六角ノ井」と呼ばれているそうです。また、源為朝が大島から放った矢がこの井..
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玉縄城跡玉縄城は現在の鎌倉市玉縄地域城廻にあった城で別名は甘縄城。三浦半島の新井城に籠る三浦義同への抑えとして、北条早雲(伊勢盛時)により永正10年(1513年)に築かれたとされています。
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玉縄首塚大永6年(1526年)に安房里見氏の鎌倉攻めの際に応戦して戦死した渡内福原氏や大船甘粕氏一族35名を供養した塚といわれています。後世に六地蔵が祀られ、その傍らに由来を記した石碑が建てられています。