記事「群馬」 の 検索結果 6002 件
-
岩宿遺跡(A地点)昭和21年(1946年)頃、相沢忠洋によって発見された群馬県みどり市にある旧石器時代の遺跡。この発見によって、それまでの定説が覆され、日本にも旧石器時代が存在したことが証明されました。発見場所の切通の..
-
岩宿遺跡(B地点)旧石器時代の遺跡である岩宿遺跡(群馬県群馬県みどり市)は、昭和21年(1946年)に相沢忠洋によって発見されましたが、それがB地点だったとのこと。現在、B地点は「史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設」(岩宿ド..
-
保渡田古墳群群馬県高崎市保渡田町・井出町にある古墳群で、昭和60年(1985年)9月3日に国の史跡に指定されました。3基の大型前方後円墳が残されていて、築造年代は5世紀代の後半も終わりに近い頃から6世紀前半代にか..
-
光泉寺群馬県吾妻郡草津町、湯畑のすぐ近くにある真言宗豊山派の寺院で、養老5年( 721年)に行基が薬師堂を創建したと伝えられるそうです。また、南北朝の争いでは南朝側につき僧兵を率い、護良親王、新田義貞、楠木..
-
八代将軍御汲上之湯享保11年(1726年)、8代将軍徳川吉宗の命により、現在の草津温泉湯畑付近から温泉を汲み上げて江戸城内まで運んだと記録に残っているとのことです。湯畑にある桧の木枠の中が源泉で、この場所から温泉を樽詰..
-
白旗源泉建久4年(1193年)、源頼朝が浅間での狩で草津まで騎馬を進めた際、荒れ果てた源泉地を改修し自ら入浴したと伝えられている処。以来この湯を御座の湯と呼び、その後祠を建てて頼朝を祀ったのが頼朝宮。頼朝宮は..
-
大笹関所跡寛文2年(1662年)、当時の沼田藩主真田伊賀守が建設した関所の跡。北国街道の脇往還にあたる信州街道(大笹街道)は、上州と信州を結ぶ代表的なルートの一つで、人々の交流や物流に大きく貢献しました。また、..
-
新田金山城跡群馬県太田市のほぼ中央にそびえる金山に築かれた山城で「太田金山城」、「金山城」の別名があります。文明元年(1469年) 新田一族である岩松家純によって築城され、日本100名城、関東七名城の一つとされて..
-
不動堂(大慶寺)群馬県太田市の大慶寺にある不動堂。妙満尼が父新田義重の像を彫ると、一夜のうちに不動明王の姿になったので、御影不動とも呼ばれているそうです。また、新田義貞の戦 死を知ると、その死を惜しんで泣いたことから..
-
大慶寺(太田市)群馬県太田市にある牡丹の花で有名なお寺。源義平の妻となった新田義重の娘が義平没後、父を頼り世良田郷に住み、後に綿打に移り、夫の菩提を弔うため出家して妙満尼となり一庵を結んだのが始まりとのことです。
-
名胡桃城址沼田氏が沼田城の支城として築城したとも、また、真田氏が沼田領侵攻のための前線基地として築城したとも云われている城です。 天正17年(1589年)に北条氏がこの城を奪取したことが小田原征伐の原因となりま..
-
平八石天正9年(1581年)3月、沼田平八郎景義は沼田を真田から奪還するため沼田へ攻め込みました。しかし、沼田城内にいた伯父の金子美濃守泰清の陰謀に 遭い殺害され、平八郎の首級は真田昌幸が実検の後、この石の..