記事「群馬」 の 検索結果 6002 件
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めがね橋群馬県安中市松井田町坂本にある鉄道橋で、正式名は碓氷第三橋梁。 碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物。 明治26年(1893年)に竣工、昭和38年(1963年)まで使用さ..
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虎姫観音堂群馬県庁の西側、利根川河畔にある六角形のお堂で、厩橋城で酒井雅楽頭 の身の回りの世話をしていたお虎という美しい娘が他の女中の嫉妬のために 無残な死を遂げ、その霊を慰めるために建てられたとのことです..
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車橋門跡(前橋城)群馬県の前橋城車橋門は、慶応3年(1867年)に復興された前橋城の 渡りやぐら門の跡で、当時、前橋城の外曲輪と内曲輪を結ぶ大手筋にあり、 数ある城門の中でも特に重要な門であったとされています。
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前橋城跡前橋城は関東七名城の一つ。古くは厩橋城と呼ばれ箕輪城の支城として 築城された石倉城がその始まりと云われています。現在は一部に当時の 石垣を残すのみで、城としての面影は残っていません。
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正法寺群馬県太田市脇屋町にある、高野山真言宗のお寺で、山号は脇屋山。 創建は延喜年間ですが、元弘年間(1331年~34年)には、新田義貞の弟の 脇屋義助が、寺領と大般若経600巻を寄進し自らの菩提寺とし..
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脇屋義助像脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋に拠ったことから 名字を「脇屋」と称し、兄の義貞とともに、南朝方の武将として活躍しました。 脇屋義助の菩提寺である正法寺(群馬県太田市脇屋町)に像がありま..
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脇屋義助遺髪塚脇屋義助は新田義貞の弟で、宮方として常に義貞とともに各地で転戦。 兄である新田義貞の死後は、四国に渡り、伊予の土居氏・得能氏を指導して、 一時は勢力をふるいましたが、伊予国府で発病し、享年38で病..
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脇屋義助館跡脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋(現在の群馬県太田市 脇屋町)に館があったことから、名字を「脇屋」と称したとのことです。 脇屋義助は兄義貞と共に新田荘でて挙兵し、鎌倉に攻め上っていきまし..
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円福寺群馬県太田市にある真言宗のお寺で、正式名は御室山金剛院円福寺。 寛元2年(1244年)頃の、新田本宗家第4代の新田政義の開基と伝えられ、 政義が京都御室の仁和寺から招いた阿闍梨静毫が開山といわれて..
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台源氏館跡(新田義貞生誕地)新田義貞は正安3年(1300年)年頃、当地である現在の群馬県太田市 由良町で生まれ、やがて反町館で青年期をむかえ、元弘3年(1333年) 5月8日、生品神社で鎌倉幕府打倒の旗をあげたと伝えられてい..
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新田氏累代の墓群馬県太田市の円福寺の境内にある、新田氏累代の墓と伝わる石塔群。 20基余りの凝灰岩製の石層塔・五輪塔群があり、そのうちの1基には、 元亨4年(1324年)に新田義貞の祖父が72歳で逝去したと記さ..
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冠掛の松群馬県太田市の大通寺境内にある、2代目の「冠掛の松」。 元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉幕府打倒のため生品神社で挙兵し、 鎌倉へ向かう途中、ここの松に冠をかけて、休憩したと伝えられています。..