記事「芥川賞」 の 検索結果 1981 件
-
渡辺淳一 「死化粧」 ――― 第54回(昭和40年)芥川賞候補作品最初に書いておく。今この文章を書いている私は、少々怒っている。気が短くなっている。だからもう結論から先に書いてしまおう。この小説を読むことはお勧めできません。 渡辺淳一といえば、今や大家とし..
-
立原正秋「薪能」「剣ヶ崎」「白い罌粟」 ――― 第53回(昭和40年)芥川賞候補作品立原正秋の名は小学生の頃から知っていた。名前が北原白秋と似ているせいもあって、以前から気になっていた。「たちはらまさあき」と全て漢字を訓読みしているため、非常に日本的な名前であるように思えるのだが、..
-
三浦哲郎 「忍ぶ川」 ――― 第44回(昭和35年)芥川賞受賞作品当初の予定では、この「忍ぶ川」は読まないことになっていた。三浦哲郎という作家が日本の文学史上それほど重要とは思えず、「忍ぶ川」という作品名からも取り立ててインスピレーションを感じなかったからだ。 ..
-
北杜夫 「夜と霧の隅で」 ――― 第43回(昭和35年)芥川賞受賞作品この作品は当初読む予定ではなかった。実はこの作品を読んだのは、後日ご紹介する丸谷才一の「年の残り」を読んだ後なのである。 私は北杜夫の作品を全く読んでいない上に、「軽薄な大衆作家」という偏見を持..
-
大江健三郎 「死者の奢り」「飼育」 ――― 第39回(昭和33年)芥川賞受賞作品大江健三郎はあの柔和な眼鏡顔で皆さんもご存知であろう。東大文学部在学中、当時最年少で芥川賞受賞という華々しい作家デビューを飾り、幾多もの有名作品を世に送り、遂にはノーベル文学賞まで受賞した。経歴だけ..
-
開高健 「裸の王様」 ――― 第38回(昭和32年)芥川賞受賞作品開高健と聞いて思い出すのが、彼がこの世を去った時のテレビニュースである。テレビの中には、眼鏡の向うに満面の笑顔を浮かべながら、川面に浮かぶボートの上で釣った魚を見せる、開高氏の姿があった。普通作家と..
-
石原慎太郎 「太陽の季節」 ――― 第34回(昭和30年)芥川賞受賞作品芥川賞はそもそも、雑誌「文芸春秋」の二月と八月の売上が低かったことを打開するために、菊池寛が編み出したイベントである。つまり、芥川賞自体がコマーシャルな存在なのである(さらに言うなら、菊池寛は同時に..
-
遠藤周作 「白い人」 ――― 第33回(昭和30年)芥川賞受賞作品ネスカフェ・ゴールドブレンドのCMは、かなり長い期間続いているCMシリーズだ。このCMには、各界を代表する文化人が多数登場している。このCMに出演したことによって、広く名が知られた文化人も多い。言う..
-
吉行淳之介「原色の街」「驟雨」 ――― 第31回(昭和29年)芥川賞受賞作品モーゼの十戒の中に、「姦淫をしてはならない」という教えがある。他の宗教や社会慣習にしても、性欲や性交渉をタブー視しようとする考えを持つものが多い。この性欲という人間の本能的欲求を無秩序に許してしまう..
-
安岡章太郎 「悪い仲間」「陰気な愉しみ」 ――― 第29回(昭和28年)芥川賞受賞作品今回の芥川賞作品の読書は、律儀にも年代を追って順に読むようにしている。 しかし、安岡章太郎の「ガラスの靴」(第25回(昭和26年)芥川賞候補作品)だけは、我慢しきれなくて先に読んでしまった。私が..
-
松本清張 「或る『小倉日記』伝」 ――― 第28回(昭和27年)芥川賞受賞作品松本清張はご存知ミステリーの大家だ。去年に「砂の器」と「黒革の手帖」が連続ドラマ化され、共に高視聴率を記録した。未だに高い人気を誇る作家である。 その清張の出世作がこの「或る『小倉日記』伝」だが..
-
堀田善衛 「広場の孤独」 ――― 第26回(昭和26年)芥川賞受賞作品「広場の孤独」を読み終えた。 私は腕を組みながら、心の中でうなっていた。 「どうにもならない」 そう思った。そこから先に進まなかった。こんな行き詰まった気持ちで小説を読み終えたことは無かっ..