記事「長野」 の 検索結果 8449 件
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武田勝頼母墓長野県伊那市高遠町西高遠の建福寺境内にある武田勝頼母の墓。武田勝頼が藩主の時、武田家菩提所として母諏訪御料人を埋葬したそうです。一番右が武田勝頼母の墓、中央が武田家家臣保科正直、左が高遠藩初代藩主保科..
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荒砥城跡荒砥城は現在の長野県千曲市にあった山城で、この地域の領有をめぐる上杉氏、武田氏の攻防戦が川中島の戦いへとつながっていきました。現在は城山史跡公園として整備され、大河ドラマのロケにも使用されました。
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山本勘助墓山本勘助は武田信玄の側近として活躍した軍師で武田24将の一人。第4次川中島の戦いの際、山本勘助の献策した啄木鳥戦法が上杉謙信に見破られて失敗し、山本勘助も合戦の中で討ち取られました。
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広瀬の渡し永禄4年(1561年)9月10日の早暁、妻女山から下りてくる上杉謙信軍を待ち受けるべく、武田信玄は八幡原に本営を移しました。その時、信玄が8千の兵を率いて渡河したのが、この地点と伝わっています。
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勘助宮跡武田信玄の軍師であった山本勘助が第4次川中島の戦いで討ち死にしたのがこの辺りと伝わっています。長野オリンピックスタジアムがある南長野運動公園の南西の端に石碑が建てられています。
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八幡原5度に渡る川中島の合戦で、第4次の合戦時(永禄4年・1561年)に武田軍の本陣となった所。上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの伝説にもなっている所で、現在は、八幡原史跡公園として整備されています。
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佐久間象山像佐久間象山は江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。当時の日本において、洋学の第一人者だった象山は「西洋かぶれ」と見做され、元治元年(1864年)7月11日、三条木屋町で暗殺されました。
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真田邸長野市松代町にある松代藩主真田家の屋敷だったもので、現在は長野市の所有になっています。江戸時代末期に9代藩主真田幸教が当初は義母お貞の方の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は真..
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文武学校文武学校は安政2年(1855年)に創設された信濃国松代藩の藩校。明治時代初期に廃止されましたが、藩校の建物は昭和期まで学校として使用され、昭和28年(1953年)に国の史跡に指定されています。
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松代城跡長野県長野市松代町にある城跡で、元々は海津城と呼ばれていました。第4次川中島の戦いでは武田信玄がここに陣を置いたことで知られていて、また後には、江戸時代初期より明治維新まで真田氏の居城となっていました..
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上杉謙信公鞍掛の松長野市の妻女山の麓に鎮座する会津比売神社の境内にある松の木。永禄4年(1561年)9月、上杉謙信が川中島合戦の前に妻女山に陣を構え会津比売神社に必勝を祈願した時、乗馬の鞍を懸けた松と伝わっています。
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川中島川中島は長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名。木曾義仲の旗揚げによって生じた市原合戦、それに続く横田河原の戦い、また、信玄と謙信の間で争われた川中島の戦いの舞台となったところです。