記事「長野」 の 検索結果 7848 件
-
真田邸長野市松代町にある松代藩主真田家の屋敷だったもので、現在は長野市の所有になっています。江戸時代末期に9代藩主真田幸教が当初は義母お貞の方の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は真..
-
文武学校文武学校は安政2年(1855年)に創設された信濃国松代藩の藩校。明治時代初期に廃止されましたが、藩校の建物は昭和期まで学校として使用され、昭和28年(1953年)に国の史跡に指定されています。
-
松代城跡長野県長野市松代町にある城跡で、元々は海津城と呼ばれていました。第4次川中島の戦いでは武田信玄がここに陣を置いたことで知られていて、また後には、江戸時代初期より明治維新まで真田氏の居城となっていました..
-
上杉謙信公鞍掛の松長野市の妻女山の麓に鎮座する会津比売神社の境内にある松の木。永禄4年(1561年)9月、上杉謙信が川中島合戦の前に妻女山に陣を構え会津比売神社に必勝を祈願した時、乗馬の鞍を懸けた松と伝わっています。
-
川中島川中島は長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角地帯の地名。木曾義仲の旗揚げによって生じた市原合戦、それに続く横田河原の戦い、また、信玄と謙信の間で争われた川中島の戦いの舞台となったところです。
-
妻女山長野市松代町と千曲市土口が境を接する山で、第4次川中島の戦いの際に上杉謙信が陣を張ったところとして知られています。上杉謙信はこの山を下り雨宮の渡しを渡り、八幡原の決戦場へ向かったとされています。
-
雨宮の渡し跡「雨宮の渡し」は古来から重要な軍事上の千曲川の渡河地域で、川中島の戦いの時には上杉謙信が夜半に妻女山を下り、この渡し場を秘かに越えて武田信玄の本陣に突撃したと伝わっています。現在は千曲川の流れが大きく..
-
絵島囲み屋敷跡(非持村)江戸時代中期に起こった江戸城大奥の大醜聞事件の当事者である絵島は、月光院の嘆願により罪一等を減じて高遠藩内藤清枚にお預けとなりました。絵島が最初に幽閉されたのが、非持村の囲み屋敷だったということです。..
-
松本市旧司祭館松本市に残る明治時代の洋式住宅。松本カトリック教会の宣教師用住居として松本城内三の丸の大名屋敷があった地蔵清水に建設されましたが、 平成3年(1991年)に、現在の旧開智学校の隣地に移築復元されました..
-
旧開智学校長野県松本市開智に残る洋風建築の校舎。明治9年(1876年)4月に竣工し、 昭和38年(1963年)3月まで約90年間使用された日本で最も古い小学校の一つである開智学校は、 文明開化時代の小学校建築を..
-
福島宿中山道37番目の宿場町で関所が設けられ、古くから栄えてきた町です。昭和2年(1927年)の大火でほとんどが焼失してしまいましたが、再建された家が板葺屋根形式で重石を載せた家でしたので、その面影は残され..
-
高札場(福島宿)高札場は幕府や諸藩等が法令等を掲示するために、往来の激しい地点、大きな橋の袂、町や村の入り口や中心部などに設置していたそうです。木曽福島宿にも、高札場が復元されていて、往時を偲ぶことができます。