記事「静岡」 の 検索結果 9339 件
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富士川一級水系富士川の本流であり、日本三大急流の一つに数えられている川。治承4年(1180年)に源頼朝と平維盛が戦い、水鳥の羽音に驚いた平家軍が敗走した、富士川の合戦が行われた場所としても知られています。
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二俣城遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町)にあった山城。武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げ、また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られています。
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梶原景時一族供養碑静岡県静岡市清水区の高源寺の境内にある梶原景時一族の供養碑で、もとは梶原一族の首がさらされた場所に建てられていたそうです。碑の両脇には、梶原一族のレリーフとウナリ地蔵が建てられています。
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梶原一族墓(梶原堂)正治2年(1200年)正月20日、梶原景時は一族とともに京へ上る途中、東海道の駿河国清見関近くで在地の武士たちとの合戦となり、敗れて自害。静岡市清水区の梶原堂の傍らに、梶原父子の墓と伝わる石塔がありま..
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梶原堂静岡県静岡市清水区、梶原山の麓にある梶原景時を祀った堂。梶原堂は元々は梶原山龍泉院という矢崎山の山腹 にあったお寺でしたが、明治の廃仏毀釈により龍泉院は廃寺となり、 梶原堂として残ったそうです。
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毘沙門堂(梶原堂)静岡県静岡市清水区、梶原山の麓の梶原堂のすぐ傍らにある堂。梶原氏の家紋(矢筈)を示した毘沙門堂内には、梶原景時と源頼朝の2つの位牌、それに毘沙門天像と如意輪観音像が安置されているそうです。
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梶原山翌正治2年(1200年)正月20日、東海道の駿河国清見関付近での合戦に敗れた梶原景時とその一族は、この山の山頂で自害したとのことです。首は翌日に探し出され、一族33名の首が路上に懸けられたそうです。
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鬢水(梶原山)静岡県静岡市の梶原山公園頂上付近にある梶原一族縁の史跡。駿河国清見関で在地の武士たちとの戦闘に敗れた梶原一族は自害を決意。この池で鬢のほつれを直して、自刃の地である山上を目指したとのことです。
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馬食い笹梶原山公園頂上付近に育成している葉先が馬の歯形のように枯れるという笹。戦いに敗れた梶原一族が自害するために梶原山の頂上を目指したとき、景時の馬が空腹のあまり笹を食べて以来、このようになったとのことです..
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沓掛石御殿場市に鎮座する新橋浅間神社の創建は不詳ですが、伝承によると、建久4年(1193年)、源頼朝が富士の巻狩りの際に勧請されたとも云われています。境内には源頼朝が巻狩りの際に足をかけたと伝わる沓掛石があ..
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徳川家康公御殿土塁跡現在の御殿場高校から吾妻神社・穂見神社にかけての一帯が「御殿場」の地名の由来ともなった徳川家康の御殿のあった所と伝えられています。吾妻神社の境内には、その御殿の土塁跡と思われるものが残されています。
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地名「御殿場」発祥の地元和元年(1615年)、徳川幕府は家康が江戸~駿府を往復する際の宿泊所として、現在の吾妻神社がある辺りに御殿を造営しました。その「御殿のある場所」という意味で御殿場の地名が発症したそうです。