記事「静岡」 の 検索結果 9462 件
-
富戸八幡宮の橘源頼朝と八重姫の子である千鶴丸が伊東の稚児ヶ渕に重石をつけて沈めら れるときに、鎌田神社の境内にあった橘の小枝を両方の手に握らされました。 その橘の小枝がこの神社の社前に植えられ、見事に根付き成長..
-
河津三郎祐泰血塚河津三郎祐泰は、工藤氏の流れをくむ伊東祐親の子であり、曾我兄弟の父。 安元2年(1176年)10月、所領争いにより、祐泰は伊豆の奥野の狩場で 工藤祐経に矢を射られて落命し、曽我兄弟の仇討ち物語の発..
-
焼津さかなセンター静岡県焼津市にある、一般に開放されている水産産地の総合市場。 70店舗以上が出店し、水産加工品、海産物等の食品類が取り扱われ、 年間約150万人が来場し、日本でも代表的な水産総合市場とのことです。..
-
本多肥後守忠真顕彰碑本多忠真は、徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父に あたる武将。 本多忠真は、三方原の戦いで武田軍に大敗した中、撤退に際 し殿を 買って出て、39歳をも ってこの地で討ち死にしたと伝えられています..
-
夏目次郎左衛門吉信旌忠碑夏目次郎左衛門吉信は、徳川家康の家臣で、元亀3年(1573年)の 三方ヶ原の戦いの時、決死の突撃をしようとする家康を逃がすべく、 家康の兜と馬を以って武田勢に突入し、身代わりとなって戦死しました。..
-
大島蓼太句碑(犀が崖)大島 蓼太は、信濃国伊那郡本郷村生まれの、江戸時代の俳人。 岩角に兜くだけて椿かな 大島 蓼太は、全国を行脚する中、浜松に立ち寄ったそうです。
-
犀が崖元亀3年(1573年)12月22日の三方ヶ原の合戦で、徳川勢は惨敗。 同夜、一矢報いようと考えた家康は、浜松城の北方約1kmにある犀ヶ崖付近 に野営中の武田軍を夜襲させ、武田勢に多数の死傷者が出た..
-
三方ヶ原古戦場碑三方ヶ原の戦いは、元亀3年(1573年)12月22日に、遠江国敷知郡の 三方ヶ原で起こった、武田信玄軍と徳川、織田連合軍との間で行われた戦い。 信玄の西上作戦の過程で行われ、家康が大敗したことで有..
-
高天神城跡高天神城は、遠江国城東郡土方(現在の静岡県掛川市)にあった城。 戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた 城で、優美な山の形から鶴舞城とも呼ばれ、国の史跡に指定されていま..
-
浄蓮の滝浄蓮の滝は、静岡県伊豆市湯ヶ島にある滝で、日本の滝百選の一つ。 落差は25m、幅は7mで岩盤には柱状節理が見られます。 かつて滝の付近に「浄蓮寺」という寺院があったことからの名称だそうです。
-
山木兼隆墓治承4年(1180年)8月、挙兵した源頼朝は、山木兼隆の館を急襲。 三島大社の祭礼のために、山木館は郎党の多くが留守だったため、 兼隆は満足に戦うことができず、加藤景廉によって討ち取られたそうです..
-
山木館跡平兼隆(山木兼隆)は、元々は、伊豆国山木郷に流されていた流人でしたが、 平時忠により伊豆国目代に任ぜられ伊豆で勢力を持つようになっていました。 源頼朝は挙兵にあたり、先ず伊豆国の目代、山木兼隆の屋..