記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
太田道灌屋敷跡現在の横浜市立太田小学校が、太田道灌の屋敷跡といわれています。 新編武蔵国風土記稿にその記述があるそうで、小学校の校名も、太田 道灌に由来しているようです。
-
高山陣屋江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために、現在の岐阜県高山市 八軒町に設置した代官所で、元来は飛騨高山藩主の下屋敷でしたが、 元禄5年(1692年)以降、代官所として用いられるようになったとの..
-
今井神社(松本)長野県松本市今井地区に鎮座する神社で、続麻神社と合祀されています。 社伝によると、この地はもと、今井兼平の館のあった処で、社の前の道は、 兼平の尊崇した西洗馬薬師堂への参詣道であったと伝わっている..
-
淵辺義博館跡淵辺義博は、現在の相模原市中央区淵野辺周辺の地頭。中先代の乱の際、 足利直義が鎌倉を放棄するにあたり、直義は鎌倉の東光寺に幽閉されていた 護良親王の殺害を淵辺義博に命じ、義博は親王を土牢の中で殺害..
-
長田屋敷跡平治の乱で敗れた源義朝は、馬も失い裸足で尾張国野間にたどり着き、 家臣の鎌田政清の舅で年来の家人であった長田忠致・景致父子ののもと に身を寄せましたが、長田父子の裏切りに遭い、この地で最期をとげま..
-
長良公園長良公園は、岐阜市にある公園で、枝広館の跡地と推定されているところ。 枝広館は天文元年(1532年)に土岐頼芸が築いた居館で、その頃、頼芸は 長井規秀の計略で兄政頼を追放して、美濃守護の地位を手に..
-
戸定邸千葉県松戸市松戸にある、水戸藩最後の藩主、徳川昭武が造った別邸。 国の重要文化財で、重要文化財指定名称は、旧徳川家住宅松戸戸定邸。 現在は、松戸市に寄贈され、「戸定が丘歴史公園」として整備されてい..
-
河越館跡史跡公園河越館跡は、平安時代から南北朝時代まで、武蔵国の中で有数の勢力を 誇った武士・河越氏の居館跡で、昭和59年(1984年)に国指定遺跡となり、 平成21(2009年)には、川越市管理の史跡公園として..
-
高安寺東京都府中市、大國魂神社の西に位置する曹洞宗のお寺で、平安時代に 藤原秀郷が武蔵国府近郊の居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとの こと。後に足利尊氏が臨済宗の禅寺として再興し、高安寺となったそう..
-
浅野内匠頭屋敷跡聖路加国際病院と河岸地を含む一帯は赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷があった所で、浅野内匠頭長矩もこの屋敷で生まれたとのこと。吉良邸討ち入り後の47士は、この上屋敷跡の前を通って泉岳寺まで引き揚げたそうです。..
-
蘭学の泉はここに東京都中央区明石町にある解体新書翻訳の記念碑。この地は豊前中津藩の中屋敷跡で、ここで、前野良沢、杉田玄白たちが4年かけてオランダの医学書を翻訳し、安永3年(1774年)「解体新書」が完成したとのことで..
-
御庵室跡京都大原の寂光院境内にある、建礼門院が隠棲していたと伝わる庵の跡。 平家の滅亡後、洛北の地大原で、建礼門院徳子が、夫高倉天皇とわが子 安徳天皇、および平家一門の菩提を弔う余生を送ったとされるところ..