記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
高野長英旧宅高野長英は、水沢出身の江戸時代後期の医者であり蘭学者であった人物。 高野家は、高野長英の母美也の実家で、長英が17歳で江戸に出るまでの 一時期を暮らしたところだそうです。
-
安倍館跡前九年の役の一方の当事者である安倍頼時の館跡と伝わるところ。 安倍頼時の祖父である安倍忠頼の代からの安倍氏累代の居城で、 その地勢から、舞鶴館、落合館とも云われているそうです。
-
向館跡平泉の隣接地である奥州市衣川区にある平安時代の館跡。 安倍一族の居館とされ、時頼に背いた富忠の館だったとのことです。 また、袈裟御前の母衣川殿の住居であったとも伝えられています。
-
小松館跡並木屋敷跡(衣川柵跡)から道沿い西方に少し行ったところにある館跡。 安倍貞任の叔父である僧良照の屋敷だったということです。 安倍氏の滅亡後は、室町時代に葛西氏の家臣砥石氏の館があったそうです。
-
琵琶館跡並木屋敷(衣川柵)の近くにある、安倍氏一族の居館跡と伝わる場所。 衣川が琵琶状に蛇行する地形から琵琶館と名付けられたとのことです。 今では館の面影は全くなく、路肩に標識が1本立てられているだけです..
-
大久保彦左衛門屋敷跡大久保彦左衛門は、三河以来徳川家康に付き従った徳川家古参の家臣。 家康死去後、他の家臣たちともに駿河からこの地に移り住んだとのことで す。晩年には武士の生き方を子孫に伝えた「三河物語」を書き残しま..
-
尾張名古屋藩徳川家屋敷跡尾張徳川家は、徳川家康の9男義直に始まる家で、紀伊家、水戸家と共に、 御三家と称されていました。明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・ 井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になり..
-
河井継之助邸跡河井継之助は幕末期の越後長岡藩の家老で、北越戊辰戦争を主導し、 武運拙く銃弾で負傷して悲壮な死を遂げた人物です。 新潟県長岡市長町に、河井継之助の屋敷跡があります。
-
御屋敷公園真田氏が上田城を居城とする前に住んでいたといわれる居館の跡。 山城の真田氏本城が真田氏の居城でしたが、日常生活は山城ではなく、 この平地にある居館で営んでいたといわれているそうです。
-
古河公方館跡古河公方館は、享徳の乱の際に、初代古河公方足利成氏により築かれたと 考えられている、茨木県古河市にあった中世の城館で、鴻巣御所・鴻巣館、 また、古河御所とも呼ばれ、現在は、古河総合公園として整備さ..
-
長崎屋跡東京都中央区、室町三丁目交差点の北東角が長崎屋の跡。江戸時代、ここには長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸登城、将軍拝謁の際の定宿になっていたところです。
-
旧乃木邸東京都港区赤坂にある乃木希典の邸宅だった館。明治35年に改築(ほぼ 新築)された建物で、ドイツ留学の折に視察したフランス陸軍の兵舎のスケッ チをもとに自ら設計したとのこと。乃木夫妻は、ここの一室で..