記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
ヘボン博士邸跡横浜の山下公園の近く、横浜中税務署の前にある、ヘボン博士邸跡。 ヘボン博士は幕末に訪日し、横浜で医療活動を行い、横浜の近代医学の基礎 を築いたといわれ、また、ヘボン式ローマ字を考案したことで知られ..
-
水戸徳川邸跡東京を流れる隅田川の両岸にある隅田公園の墨田区側に碑があります。 ここは江戸時代、水戸徳川家の下屋敷・小梅別邸が置かれたところで、幕末 に水戸学者、藤田東湖が蟄居の日々を送ったのもこの屋敷内とのこ..
-
曽我別所屋敷跡曽我兄弟が工藤祐経を討つために、富士の裾野に向かおうとする時、母の 満江御膳のもとを訪れ、今生の別れに母の満江御膳から小袖を乞い受けた と伝わる曽我氏の下屋敷跡。現在、曽我別所公民館のあるところで..
-
北条常盤邸跡鎌倉市常盤にある遺跡で、鎌倉幕府第7代執権、北条政村の別荘として 建てられたとされ、敷地内には門柱の跡ややぐら、法華堂跡が残っています。 また、常盤の名は政村の号、常盤院覚崇に由来しているとのこと..
-
旧岩崎邸庭園東京都台東区池之端一丁目、上野公園不忍池の近くにある都立庭園。 三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備した もので、園内の歴史的建造物は、国の重要文化財に指定されています。
-
徳川慶喜終焉の地徳川慶喜は、明治30年(1897年)、隠棲していた駿府から東京に戻り、同 34年(1901年)、現在の国際仏教学大学院大学のある地に移り住みました。 大正2年(1913年)11月22日、急性肺炎の..
-
足立遠元館跡桶川市役所桶川東公民館の脇に、足立遠元の館跡の碑があります。 足立遠元は足立氏の祖で、平治の乱で源義朝に従軍して功績を挙げ、 馬術に優れた武士であると「平治物語」に記述されているそうです。
-
毛利甲斐守邸跡東京の六本木にある、長門長府藩主だった毛利綱元の麻布上屋敷の跡地。 現在は六本木ヒルズの毛利庭園になっています。元禄15年(1702年)、 赤穂浪士の10人がお預けになり、翌年の2月4日同屋敷で切..
-
脇屋義助館跡脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋(現在の群馬県太田市 脇屋町)に館があったことから、名字を「脇屋」と称したとのことです。 脇屋義助は兄義貞と共に新田荘でて挙兵し、鎌倉に攻め上っていきまし..
-
総持寺(太田市)新田氏の館跡に建立されたお寺で、正式名称は威徳山陀羅尼院総持寺。 新田館の主としては、新田一族の祖新田義重居館説、一時期新田氏を 代表した世良田頼氏居館説、新田義貞居館説などがあるそうです。
-
関口芭蕉庵東京都文京区関口にある史跡で、かつて松尾芭蕉が神田上水の改修工事 に携わった際の延宝5年(1677年)から延宝8年(1680年)までの4年間、 住んでいた住居跡が元になっているとのことです。
-
永青文庫東京都文京区目白台の肥後熊本細川家下屋敷跡に建てられた、日本・東洋 の古美術を中心とした美術館。旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料 や、16代当主細川護立の蒐集品などを収蔵し、展示、研究を行っ..