記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
鳥羽離宮跡鳥羽離宮(鳥羽殿)は、白河天皇が創建した譲位後の御所で、鳥羽上皇の 代にほぼ完成し、14世紀頃まで代々院御所として使用されていたそうです。 現在の京都市南区上鳥羽、伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯に..
-
長光寺茨城県筑西市にある、平国香の館跡とされている曹洞宗のお寺。 承平天慶の乱の際、平将門の伯父である平国香は、平将門との戦闘に敗れ、 承平5年(935年)2月4日、石田館が焼かれて死亡したと伝えられて..
-
鎌輪香取神社茨城県下妻市鎌庭に鎮座する神社で、平将門の館跡と伝わるところ。 平将門の館は、「鎌輪の宿」と「石井の営所」とがあったそうですが、将門は、 承平7年(937年)、 戦いが激しくなり、館を「石井の営所..
-
真田邸長野市松代町にある、松代藩主真田家の屋敷で、現在は長野市の所有。 江戸時代末期に9代藩主真田幸教が当初、義母お貞の方の住居として建築、 やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は、真田家の私宅とな..
-
若一神社(西八条殿跡)若一神社は、平清盛の邸宅(西八条殿)の鎮守社であったと伝わる神社。 清盛が没した翌々日の養和元年(1181年)年閏2月6日、放火により焼亡。 さらに都落ちする際に、平氏自らが放った火で豪壮な邸宅は..
-
反町館跡群馬県の「新田荘遺跡」のうちの1箇所として国の史跡に指定されている 新田荘における代表的な館跡で、現在は照明寺の境内となっています。 新田義貞の居館跡ともいわれ、周囲には堀や土塁が残されています。..
-
江田館跡平成12年に国指定史跡に指定された、群馬県太田市にある新田荘遺跡。 鎌倉攻めに従軍した江田行義の館跡であり、その後、戦国時代には金山城主 横瀬氏の家臣矢内四郎左衛門が館を拡張して住んだと伝えられて..
-
伊東家館跡伊東氏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国田方郡伊東荘を 本貫地としていた豪族で、藤原為憲の流れを汲む工藤氏の一支族。館跡 は現在物見塚公園として整備され、伊東祐親像が建てられています。
-
北条時房邸跡鎌倉の若宮大路から小池小路を少し入ったところに石塔が建てられてます。 北条時房は、北条政子・北条義時の異母弟で、鎌倉幕府初代連署。ここは 元々は、摂津守小池民部太夫藤原久時の屋敷だった処だそうです..
-
山木館跡平兼隆(山木兼隆)は、元々は、伊豆国山木郷に流されていた流人でしたが、 平時忠により伊豆国目代に任ぜられ伊豆で勢力を持つようになっていました。 源頼朝は挙兵にあたり、先ず伊豆国の目代、山木兼隆の屋..
-
大蔵館跡大蔵館は源氏の棟梁源為義の次子である、源義賢の居館と伝わるところ。 源義賢は武蔵国比企郡大蔵に館を構え、近隣に勢力をのばしていましたが、 久寿2年(1155年)、甥の源義平に大蔵館を襲撃され討たれ..
-
菅谷館跡菅谷館は武蔵国男衾郡にあった城で、鎌倉幕府の有力御家人として知られる 畠山重忠の館跡であり、菅谷城とも呼ばれ、国の史跡に指定されています。 現在、館跡には埼玉県立嵐山史跡の博物館が設けられています..