記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
肥前鹿島鍋島藩屋敷跡肥前鹿島鍋島藩屋敷跡の石碑が、新町通御池西南に建てられています。 肥前鹿島鍋島藩は、肥前国佐賀郡にあった肥前佐賀藩の三家の支藩 (小城・蓮池・鹿島)の一つで、2万石だったそうです。
-
足利尊氏邸跡室町幕府初代将軍足利尊氏の「三条坊門第」のあったところで、尊氏は この邸宅で政務をとり、延文3年(1358年)に、ここで薨じたとのことです。 後に、この邸宅は「等持寺」という寺院に改められたそうで..
-
信玄公御使用井戸武田神社(武田氏館跡)境内にある、武田信玄が使用したと伝わる井戸。 武田氏館(躑躅ヶ崎館)は、永正16年(1519年)に武田信虎によって築かれ、 以後、晴信(信玄)・勝頼まで3代にわたって武田領国..
-
八芳園東京都港区白金台にある、1万2千坪の敷地内に広い庭園をもつ結婚式場。 江戸時代には、大久保忠教(彦左衛門)の屋敷で、その後薩摩藩の抱屋敷、 島津氏(松平薩摩守)の下屋敷だったところです。
-
藤堂藩邸跡京都市中京区東堀川通蛸薬師下る東側(堀川高校正門前)に碑があります。 藤堂家は伊勢津の大名で、この地に藩邸があり、幕末には天誅組掃討に当た りましたが、元治元年の禁門の変による火災でこの藩邸は焼失..
-
泉中央公園横浜市泉区、相鉄線いずみ中央駅から南東に300m程のところにある公園。 鎌倉時代の武将、泉小次郎親衡の館跡と伝えられている所で、遺構として、 東側と南側に空堀と土塁、「小次郎馬洗いの池」と伝わる池..
-
木曽義仲館跡(木曽)木曽義仲は2歳のころ、父の源義賢が、源義朝の長男である義平に討たれ、 畠山重能・斎藤実盛らの計らいで信濃国へと逃れてきたと伝えられています。 木曽では中原兼遠に養育され、兼遠館の北東に居館を構えて..
-
和田義盛旧里碑三浦市初声町和田、国道134号線の和田交差点近くにある三浦一族の支流、 和田一族を起こした和田義盛の本拠地屋敷跡と伝わる処。和田義盛は和田の 地を領地としたことから和田を名乗ったとのことです。
-
佐賀鍋島藩屋敷跡京都市下京区四条通堺町通の南東角にある、佐賀鍋島藩屋敷跡の碑。 鍋島家は、肥前国佐賀で35万石余を与えられた外様大名でしたが、 元禄初年(1688~97頃)までは、この地に藩邸があったそうです。
-
槻御殿槻御殿は、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、 同7年に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に指定されています。 幕末の大老、井伊直弼の生誕地で、17..
-
ジェラール水屋敷跡現在の横浜の元町公園付近から湧き出る水は良質で、この水をフランス 人ジェラールが横浜港に停泊している船まで運び、商売を行っていたそう です。それで、当時、この付近は、水屋敷と呼ばれていたとのことで..
-
北条得宗家屋敷跡歴代の鎌倉幕府執権の屋敷跡。鎌倉幕府の滅亡後、北条高時慰霊のため、 後醍醐天皇がその屋敷跡に宝戒寺の建立を計画し、実際には足利尊氏が 建立したらしいとのことです。宝戒寺は、「萩の寺」として知られて..