記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
大江広元邸跡大江広元は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは 朝廷に仕える下級貴族でしたが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉 幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献しました。
-
梶原景時邸跡(鎌倉十二所)梶原景時は石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから頼朝に重用された 御家人で、教養があり和歌を好み武家百人一首にも選出されていました。 碑もありませんが、明王院の奥が梶原景時邸跡と云われている場所です..
-
足利公方邸跡鎌倉市の金沢街道沿いの道明寺にある足利家代々の館跡。鎌倉幕府 創成期の足利義康が屋敷を構えたのがこの場所で、以後、足利尊氏、 室町時代の鎌倉公方もここを館にしたとのことです。
-
青砥藤綱邸跡青砥藤綱は、鎌倉時代後期の北条時頼、北条時宗に仕えていた武士。 青砥藤綱には、ある夜のこと滑川を渡る時にお金10文を川に落としてしま いましたが、50文で松明を買ってお金を探したと言う逸話が残って..
-
畠山重忠邸跡畠山重忠は、武蔵国男衾郡畠山郷を領した鎌倉時代初期の武士で、忠 義に篤く質素を好み、坂東武士の鑑とされる人望を集めた御家人でした。 畠山重忠の館跡の碑が、鶴岡八幡宮の東の鳥居のすぐ近くにあります。..
-
染谷太郎大夫時忠邸跡染屋時忠は藤原鎌足の4代目の子孫で、父親は奈良東大寺の僧良弁。 文武天皇の時代より聖武天皇の時代の間、鎌倉に住み、関東諸国の総 司令官を務め、由比長者といわれたそうです。
-
鎌倉文学館鎌倉市長谷にある鎌倉ゆかりの文学、特に鎌倉文士をテーマにした 鎌倉市立の資料館で、もとは前田侯爵家の鎌倉別邸でした。前田家 から鎌倉市に寄贈され、昭和60年(1985年)に開館しました。
-
洗足軒跡洗足軒は、東京都大田区南千束の洗足池近くにあった、勝海舟の別邸。 勝海舟は官軍との交渉のために本門寺へ行く途中、通りかかった洗足池の 景色にひかれ、明治24年(1891年)、この地に別邸を建てたと..
-
彦根藩邸跡現在の憲政記念館のある所が、かつては加藤清正邸のあった所であり、 その後、彦根藩上屋敷となった所で、安政7年3月3日(1860年3月24日)、 雪の中を、大老井伊直弼はここから江戸城へと向かいまし..
-
法務省旧本館東京都千代田区霞が関に、旧司法省庁舎として明治28年(1895年)に竣 工したドイツ・ネオバロック様式の歴史主義建築で、国の重要文化財です。 この敷地は江戸時代には、米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)だっ..
-
伊予松山藩三田中屋敷跡東京都港区三田二丁目の、現在はイタリア大使館になっている、 伊予松山藩三田中屋敷で、元禄16年(1703年)2月4日、 幕府の命により、大石主税(良金)以下10名の赤穂浪士が切腹しました。
-
水野監物邸跡水野監物邸跡は、東京都港区芝にある三河岡崎藩主・水野家の中屋敷跡。 赤穂事件で吉良上野介の屋敷に討ち入った赤穂浪士9名が幕府の沙汰を 待つためにお預けになり、元禄16年(1703年)2月4日切腹し..