記事「館跡」 の 検索結果 186 件
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藤堂藩邸跡京都市中京区東堀川通蛸薬師下る東側(堀川高校正門前)に碑があります。藤堂家は伊勢津の大名で、此処に藩邸があり、幕末には天誅組掃討に当たりましたが、元治元年(1864年)の禁門の変による火災でこの藩邸は..
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染谷太郎大夫時忠邸跡染屋時忠は藤原鎌足の4代目の子孫で、父親は奈良東大寺の僧良弁。文武天皇の時代より聖武天皇の時代の間、鎌倉に住んで関東諸国の総司令官を務め、由比長者といわれたそうです。
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鎌倉文学館鎌倉市長谷にある、鎌倉ゆかりの文学、特に鎌倉文士をテーマにした鎌倉市立の資料館で、もとは前田侯爵家の鎌倉別邸でした。前田家から鎌倉市に寄贈され、昭和60年(1985年)に開館しました。
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収玄寺鎌倉市にある日蓮宗のお寺で、日蓮の信者であった鎌倉時代の武士四条頼基(四条金吾)の邸宅跡に、江戸時代後期に創建されたとのこと。境内に東郷平八郎の揮毫による「四条金吾邸址」の石碑があります。
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法務省旧本館東京都千代田区霞が関に旧司法省庁舎として明治28年(1895年)に竣工したドイツ・ネオバロック様式の歴史主義建築で、国の重要文化財です。この敷地は江戸時代には、米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)だったそうです..
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閑院跡二条城近くにあった平安時代から鎌倉時代初期にかけての藤原氏邸宅跡。当初は藤原冬嗣の邸宅でしたが、藤原公季が伝領してから「閑院」と称し、高倉天皇の時から90年以上にわたり、里内裏として使われたということ..
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在原業平邸跡在原業平は平安時代初期の貴族・歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。全125段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であるとされています。京都の御池通と間之町通が交差する南東の角に碑があります。
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池田屋敷跡寛文元年(1661年)から幕末まで、旗本池田播磨守の屋敷がここにあり、当時はここに、16000㎡の屋敷と隣接して抱屋敷があったとのことです。現在は明治通りの南側、荒川区東日暮里1丁目になっています。
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実相寺鎌倉の材木座にある日蓮宗のお寺。文永8年(1271年)に、日蓮の弟子の日昭が一門の教化・統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとのこと。曽我兄弟の仇討事件で敵とされた工藤祐経の屋敷跡でもあります。 ..
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松陰神社(若林)東京都世田谷区若林に鎮座する吉田松陰を祭神とする神社。長州藩屋敷のあった所で、松陰の墓がここに改葬されたのが神社の始まり。境内には、吉田松陰の墓の他、松下村塾を模した建物などがあります。
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梶原景時邸跡(一之宮)梶原景時は石橋山の戦いで敗走した源頼朝一行を伊豆山中で救ったのが縁で源頼朝の家臣となり、相模一之宮に領地を得ましたが、それがこの地。頼朝の死後、梶原景時は御家人達から讒言を理由に弾劾され滅亡しました。..
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甘縄神社和銅3年(710年)の創建で、鎌倉で最も古いと云われる神社。鎌倉時代初期の御家人である安達盛長の屋敷のあった所であり、霜月騒動により、その安達一族の滅亡したところでもあります。