記事「館跡」 の 検索結果 186 件
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土佐坊昌俊邸跡土佐坊昌俊は、平安時代末期の僧・武将で、堀川夜討で知られています。文治元年(1185年)、土佐坊昌俊は、六条室町邸の源義経を襲撃。しかし、反撃されて捕えられ、六条河原で斬首されたとのことです。
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犬懸上杉家屋敷跡室町時代の関東管領家の一つである犬懸上杉家、上杉朝宗・氏憲の屋敷跡。山内、扇谷、宅間、犬懸、の4上杉家が交代で管領職に就いていましたが、犬懸上杉家は、上杉氏憲(禅秀)の乱により衰退してしまいました。
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文覚上人屋敷跡文覚上人は、もとは遠藤盛遠といい北面の武士でした。伊豆に流されていたときに源頼朝と運命的な出会いをし、その後、鎌倉幕府の要人として、大きな影響力を持った怪僧です。
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扇谷上杉管領屋敷跡扇谷上杉管領家は、4家(山内、扇谷、宅間、犬懸)あった管領家の一つ。太田道灌はこの扇谷上杉家の家宰でしたが、主君により暗殺されてしまいました。その後、扇谷上杉家は、川越夜戦で主君が討ち死にをして滅亡し..
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紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡紀伊和歌山藩徳川家は徳川御三家の一つで、初代藩主は徳川家康の10男頼宣。8代将軍吉宗、14代将軍家重が紀伊徳川家から出ています。その紀州徳川家の上屋敷跡が、現在では複合商業施設である東京ガーデンテラス..
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ニュー・プレイスストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるウィリアム・シェイクスピアの最後の 居住地であり、1616年にシェイクスピアが亡くなった場所。当時の家屋は残 っていませんが、跡地が一般公開されています。..
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グリーンウェイ・ハウスグリーンウェイ・ハウスはアガサ・クリスティが晩年に別荘として利用した邸宅 で、クリスティの小説の中にも登場しているそうです。現在はナショナルトラスト に寄贈されていて、内部も見学することが出来ます..
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クロムウェルの家イングランド共和国初代護国卿であったオリヴァー・クロムウェルは1638年 から数年間イーリーで暮らしていたとのこと。16世紀からあるかつての彼の 家は今でも保存されていて、現在では観光情報局のオフ..
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国木田独歩住居跡国木田独歩は、千葉県調子生まれの小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。 明治29年(1896年)、現在の渋谷区のNHK放送センターの南側に移り住 み、翌明治30年(1897年)6月麹町に移ったそう..
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遍奇館跡現在の東京都港区六本木の、作家永井荷風が大正9年(1920年)から 昭和20年の空襲で焼けるまで25年間住んだ所。偏屈な変わり者を自認 し、ペンキ塗り木造2階建ての洋館をもじって偏奇館と命名したそ..
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勝海舟邸跡東京都港区赤坂の本氷川坂の下にある勝海舟邸跡。勝海舟は、安政6年 (1859年)から明治元年(1868年)までをこの地で過ごし、文久2年 (1862年)12月、坂本龍馬が勝に面会するために訪れたの..
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浅野土佐守邸跡元禄の頃に浅野土佐守の屋敷があった処。浅野内匠頭が切腹した時、夫人の瑶泉院はここ実家の浅野式部小輔長照のところに引き取られ、以後正徳4年(1714年)に死去するまで、この地で幽居していました。