記事「館跡」 の 検索結果 186 件
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勝安芳邸跡静岡に移住していた勝海舟が、明治5年(1873年)に東京に戻ってきて、 明治32年(1899年)に亡くなるまで住んでいた所で、勝海舟の終焉の地で もあります。現在は特別養護老人ホーム「サン・サン赤..
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井伊氏居館跡静岡県浜松市北区の井伊谷城跡の麓にある井伊氏の居館跡で、現在では、 南西隅に堀の跡が水路として残るのみ。井伊氏の本拠は平時を過ごした居 館と北西に位置する井伊谷城で構成されていたと考えられているそ..
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徳川慶喜公屋敷跡最後の将軍・徳川慶喜が戊辰戦争で破れた後、移り住んだのが静岡市。 現在は料亭「浮月楼」となっているこの地で、慶喜は写真・狩猟・投網・ 囲碁・謡曲など、多くの趣味に没頭する生活を送っていたとのことで..
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松岳院跡地龍潭寺境内の松岳院跡地は、井伊直盛公の内室、松岳院(井伊直虎の母) が住まわれた塔頭があった場所。永禄11年(1568年)11月、徳政令を受 け入れた井伊直虎も、井伊谷城を出て松岳院に入りました。..
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江川邸静岡県伊豆の国市韮山にある韮山代官所だった屋敷。韮山代官は江川家 によってほぼ世襲され、代々江川太郎左衛門を名乗のり、この屋敷は江川 邸と呼ばれています。主屋その他が国の重要文化財に指定されていま..
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江川太郎左衛門屋敷跡東京都墨田区、すみだ北斎美術館のすぐ近くに案内板がたてられています。 江川英龍は、江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。近代的な沿岸防備の 手法に強い関心を抱き、品川台場を築造し、反射炉の建造に取り組..
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青柳家「みちのくの小京都」とも呼ばれる角館に、数多く残る武家屋敷の中の一つ。 主屋は寄棟萱葺き屋根の鍵屋、座敷は現存する角館の武家屋敷の中で最も 豪華で、また、角館の歴史にまつわる数々の貴重な品々も収蔵..
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左女牛井戸跡左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。 この辺りは、源氏の本拠地で、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構え た六条堀川館があった所で、左女牛井はその邸内にあった..
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前川家(壬生)文久3年(1863年)から2年間、新選組の屯所となった京都の壬生にある家 で、池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問はここの土蔵で行われた とのことです。現在は個人の住宅のため、内部は一般公開さ..
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八木家(壬生)文久3年春、江戸から京に入った浪士隊が宿営した京都壬生村の郷士の家。 その後分裂した浪士隊の一部が新撰組を結成し、この八木家を屯所としまし た。内部抗争で芹澤鴨が暗殺された部屋とその時の刀傷が残さ..
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京都祇園堂京都東山の円山公園を南に出た処にある、阿弥陀如来が祀られている御堂。 かつてこの付近には祗園女御のお屋敷と隣接して阿弥陀堂があり、白川法皇 が崩御のあと、女御は法皇の菩提を弔ってこの地で余生を過ご..
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坂本龍馬妻お龍寓居跡京都の木屋町通の山崎橋近くに石碑が建てられています。坂本龍馬の妻の お龍が、坂本龍馬と出会う前の独身時代に住んでいたとされる場所とのこと ですが、正確な位置は不明だそうです。