記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
八王子千人同心屋敷跡記念碑八王子千人同心は、江戸幕府の職制のひとつで、、武蔵と甲斐の境界で あった八王子に配置された郷士身分の幕臣集団。慶長5年(1600年)に 発足し、当初は代官頭大久保長安が統括したとのことです。
-
木曽義仲館跡(依田館)上田市御嶽堂にある、木曽義仲の実質的な挙兵の地と言われているところ。 治承4年(1180年)9月、木曽で挙兵した木曾義仲は、この依田館に入城 し、 翌年、白鳥河原に三千余騎を 集め北陸方面へと進..
-
贄の柵跡楡の柵は、奥州藤原氏の重臣であつた河田次郎が館を構えていた場所。 文治5年(1189年)、平泉を捨てた藤原泰衡は贄の柵の河田次郎を頼り、 家臣3名と共にこの地に逃れましたが、結局この地で自害したと..
-
上杉景勝屋敷跡上杉景勝は、上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で、上杉宗家17代目。 上杉謙信の甥に当たり、長兄が早世したので長尾家の世子となりましたが、 永禄7年(1564年)、春日山城に入って謙信の養子とな..
-
直江山城守宅跡直江兼続は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、上杉氏の家老。 永禄7年(1564年)に長尾政景が死去すると上杉輝虎(謙信)の養子となった 政景の子顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入っ..
-
伊達政宗終焉の地出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主、仙台藩初代藩主の 伊達政宗は、寛永13年(1636年)5月24日卯の刻(午前6時)、仙台藩 桜田上屋敷(現在の日比谷公園)で亡くなりました。享年70..
-
斎藤実邸跡斎藤実は、現在の岩手県奥州市水沢区出身の海軍軍人で政治家。 第30代内閣総理大臣を務めた後、内大臣となりましたが、天皇をたぶらかす 重臣ブロックとみなされ、226六事件で、自宅を襲撃されて射殺され..
-
埋木舎彦根城佐和口御門近くにある質素な屋敷で、 井伊家の14男として生まれた 井伊直弼が彦根藩主となるまでの不遇の15年を過ごした屋敷として有名。 自らを花の咲かない埋木と同じとして、居宅を「埋木舎」と..
-
根井氏居館跡長野県佐久市根々井字亀田の正法寺が、根井氏居館跡と伝わっています。 根井氏は滋野氏の一族である望月氏の支流と云われ、 根井行親は、木曽義仲の四天王の一人と数えられています。
-
盾六郎親忠館跡楯親忠は、根井行親の六男で、義仲四天王の一人として数えられ、 義仲に従って横田河原の戦いや倶利伽羅峠の戦いなどで活躍しました。 宇治川の合戦に父・行親と共に参戦、六条河原で討ち取られたとのことです..
-
豊田館跡奥州藤原氏の祖先・藤原経清が居館として築き、 経清の子、清衡が生まれ育った場所であると伝わる館跡。 清衡は康和元年(1099年)、豊田館から平泉へ移っていきました。
-
高橋家(水沢)高野長英旧宅に隣接する武家屋敷。 江戸時代、この小路は「吉祥寺前小路」「東大畑小路」などと呼ばれ、 武家屋敷が配置された通りだったそうです。