記事「香川」 の 検索結果 6801 件
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柳田崇徳上皇はこの地で殺害されたと地元では伝わっているそうです。その説によると、村人から刺客の知らせを聞いた上皇は綾川方面へ逃げたそうです。当時の綾川沿いには柳が立ち並んでいて、上皇はその根元にあるほこら..
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岩根の桜香川県坂出市に鎮座する白峰宮の近くにある桜の木の跡。保元の乱で敗れ、讃岐に流された崇徳上皇が雲井御所御滞在の時、しばしお出ましになって御覧あそばされた桜だとのことです。
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天皇寺香川県坂出市西庄町八十場にある真言宗御室派の寺院で、四国八十八箇所霊場の第七十九番札所。境内は崇徳上皇を祀っていた白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であったときその別当寺であったとのこと。 現在は、崇..
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白峰宮香川県坂出市に鎮座する神社で主祭神は崇徳上皇。崇徳上皇は保元の乱に敗れ讃岐国へ配流されましたが、長寛2年(1164年)に崩御されました。上皇の崩御後、ご遺体を当地の清水に浸しておいたところ毎夜この辺り..
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八十蘇場の清水景行天皇の時代に悪魚を退治に向かった讃留霊皇子と80人の勇者が悪魚の毒に苦しみましたが、この泉の水を飲んだところ、たちまち蘇ったので、八十蘇場の清水と呼ばれるようになったとのこと。また、崇徳上皇はこの..
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弥蘇場地蔵堂香川県坂出市に所在する八十蘇場の清水と呼ばれる冷泉、この冷泉は古くは野澤井と呼ばれ、崇徳上皇にまつわる伝説もある湧水ですが、この冷泉の脇にある地蔵堂。本尊は地蔵菩薩で四国八十八箇所番外札所になっている..
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義経鞍掛松寿永4年(1185年)2月、平家追討の命をうけた九郎判官義経は、源氏の精鋭を率いて阿波の勝浦から大阪峠を越えて讃岐に入り屋島を望むこの地で人馬を整え、平家の陣を攻めたと伝えられています。その時大将義経..
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赤牛崎源平合戦が行われたときは屋島は島で、簡単には海を渡ることができなかったそうです。そのために、安徳帝の内裏を攻め込もうとした源氏軍は、数十頭の赤牛を放ち、浅瀬の場所を知り屋島へ上陸したと伝わっています。..
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菜切地蔵堂源平合戦の時、炊事をするのにマナ板がなかったので、弁慶が石地蔵の背で野菜を切って汁を作り、義経以下にさしあげたそうです。その時、義経が「弁慶がこしらえし菜は武蔵坊」と発句をよむと、すかさず弁慶は「それ..
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瓜生が丘屋島にいる平氏を攻めるために源氏が本陣を置いたと伝わる場所。付近一帯を瓜生が丘と呼び、「宇龍ヶ岡」と刻まれた石碑も建ちます。 義経の身代わりとなって戦死した佐藤継信が運びこまれた場所とのことです。
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長刀泉源平屋島の合戦の時、この付近は海が近く水がわるかったので源氏の兵は炊事をするのに難儀したそうです。そこで、武蔵坊弁慶が長刀で井戸を掘ったところ、きれいな水が湧き、その水を使ったと伝えられている古井戸で..
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太夫黒墓太夫黒は源義経の愛用していた馬。この馬は後白河法皇から義経に賜わったもので、佐藤継信の忠死を賞揚する余りに、義経はこの馬を志度寺の覚阿上人に施して菩提を弔わせました。太夫黒が倒れて後、寺の人は太夫黒を..