記事「鹿児島」 の 検索結果 7993 件
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伊地知正治~幕末薩摩藩の類稀な軍略家伊地知正治は文政11年(1828)、薩摩藩士伊地知季平の次男として鹿児島城下千石馬場町に生まれる。幼名は竜駒。3歳の時に文字を読んで「千石の神童」と呼ばれるが、熱病に罹り目と足に障害を負った。 後に..
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松方正義~鹿児島人に理解されていない明治の元勲松方正義は天保6年(1835)2月25日、薩摩藩士・松方正恭の四男として生まれ、13歳にして両親を亡くす。幼名は金次郎。通称は助左衛門。 弘化4年(1847)、藩校造士館に入り、赤貧の中でも弓・..
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辺見十郎太~ぼっけもん(薩摩兵児)辺見十郎太は嘉永2年(1849)、鹿児島荒田町で辺見仲直の子として生まれた。名は昌邦、通称を十郎太という。身長は6尺(180㎝)あり、薬丸自顕流の達人であった。 戊辰戦争(明治元年(1868))..
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岩下方平~パリ万博(慶応二年)の薩摩藩使節団長岩下方平(いわしたみちひら)は文政10年(1827)3月、薩摩藩の上士階級である家老格の寄合交の家柄である岩下亘の長男として生まれる。 安政の大獄の最中の安政6年(1859)、江戸で水戸浪士と提携..
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中村博愛~帰国後は外交官として活躍した薩摩藩留学生中村博愛(なかむら-ひろなり)は、天保14年(1843)、現在の鹿児島県根占町に生まれる。薩摩藩士。 慶応元年(1865)の薩摩藩英国留学生15名のひとりに選ばれ、吉野清左衛門の変名で渡英する。 ..
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有馬新七 ~ 時代の魁となり、寺田屋に散った有馬新七は文政8年(1825)11月、城下士有馬家を継いだ郷士・坂木四郎兵衛の子として生まれる。 天保14年(1843)、江戸に遊学、山口重昭の門に入り山崎闇斎の学統を修める。 安政4年(18..
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永山弥一郎~私学校党の挙兵に反対した三番大隊指揮長永山弥一郎は天保9年(1838)、薩摩藩士永山休悦の第1子として生まれる。名は盛弘、通称は弥一郎といい、茶坊主として初出仕し、万斎と称した。 弥一郎は若くして勤王の志を抱き、文久2年(1862)、..
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田中静洲(朝倉盛明) ~生野鉱山を蘇らせた薩摩藩英国留学生田中靜洲(のち朝倉盛明)は、 天保14年(1843)、薩摩藩士田中伊平衛の次男に生まれる。 幼くして藩医萬膳玄正に医術を学び、万延元年(1860)長崎で蘭学を学んだ。文久2年(1862)、藩命によ..
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松村淳蔵~欧米式海軍教育に尽力した薩摩藩英国留学生松村淳蔵は、天保13年(1842)薩摩藩士・市来一兵衛の子として生まれる。名は勘十郎。横井小楠の甥。 奥小姓として出仕し、開成所諸生となる。 慶応元年(1865)薩摩藩英国留学生の一員としてイギ..
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鮫島尚信~後に仏留学生達の面倒を見て慕われた薩摩藩英国留学生鮫島尚信は薩摩藩藩医、鮫島淳愿の子として弘化2年(1845)生まれる。 通称誠蔵。 文久元年(1861)、蘭医研究生として長崎に学び、その後開成所訓導(句読士)を務める。 慶応元年(1865)、..
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町田申四郎~町田三兄弟で、小松帯刀の養子となった薩摩藩英国留学生町田申四郎は弘化4年(1847)に生まれる。本名は実績。 慶応元年(1865)兄久成を団長とする薩摩藩の留学生の一員として塩田権之丞の変名でイギリスに留学し、海軍軍事について学ぶが、慶応2年(1..
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吉田清成~のちに官僚の典型となる薩摩藩留学生吉田清成は弘化2年(1845)、薩摩藩士吉田源左衛門の四男として上之園町に生まれる。 幼少より才気煥発,学問を好んだ。藩立開成所に入り石河確太郎から蘭学を学ぶ。 開成所に入所し、句読師として指..