記事「鹿児島」 の 検索結果 7993 件
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村田新八 ~ 時勢を知りながらも、最後まで西郷に兄事した村田新八は天保7年(1836)、鹿児島城下高見馬場方限で高橋八郎の第三子として生まれ、すぐに村田十蔵(経典)の養子となった。通称を新八という。 村田は年少のときから西郷隆盛に兄事し、尊王の志を抱い..
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桂 久武 ~ 西郷隆盛との刎頚の交わり。桂久武は天保元年(1830)、島津氏分家・日置島津家に生まれる。長兄は、第29代藩主島津忠義の主席家老を務めた島津久徴、次兄は、お由羅騒動の中心人物で犠牲になった赤山靱負。赤山の生き方が西郷隆盛に大..
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新納久脩~薩摩藩英国留学生派遣団の責任者のその後は...新納久脩(にいろひさのぶ)は、天保3年(1832)「一所持」の家柄で薩摩藩家老新納駿河の嫡男として生まれる。家祖の新納忠元から13代目。島津斉彬・茂久(忠義)に仕える。 若くして斉彬の薫陶を受け、..
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村橋久成~サッポロ麦酒の礎を創った薩摩藩留学生村橋久成は天保13年(1842)加治木島津家一門村橋家の嫡男に生まれる。 嘉永元年(1848)、父・久柄の急死により僅か6歳で家督を相続する。 元治元年(1864)の薩摩藩英国留学生15名のひ..
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町田(民部)久成~薩摩藩留学生の学頭で、国立博物館の基礎を作った町田久成は、島津藩重臣の町田久長(伊集院郷石谷領主)と母(吉利郷領主小松清穆の長女)の長男として天保9年(1838)1月27日に出生、元は民部という。 安政3年(1856)19歳の時、江戸の「昌平..
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畠山義成(杉浦弘蔵)~薩摩藩英国留学生畠山義成(天保13年9月(1842年10月) - 明治9年(1876年)10月20日)は、幕末期の薩摩藩士で明治初期の教育行政(博物館行政など)に携わった人物である。 畠山義成は、天保13年(184..
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磯永彦輔(長沢 鼎)~最年少の薩摩藩留学生からアメリカのブドウ王へ最年少13歳で薩摩藩留学生に選ばれた磯永彦助は嘉永5年(1852)生まれる。家は代々天文方で父の磯永孫四郎は儒学者。 留学生達は全員変名を名乗ったが、彦助はこの時「長澤鼎」を名乗り、これ以後一生..
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『島津斉彬(人物叢書)』(芳 即正 :吉川弘文館)島津斉彬は、文化6年3月(1809)、第10代藩主・島津斉興の嫡男として、江戸薩摩藩邸で生まれる。 この時、祖父・斉宣、曾祖父・重豪とも健在で、特に蘭癖の重豪に可愛がられ、またその影響から洋学に興..
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高見弥市~15人目の薩摩藩留学生鹿児島中央駅前に薩摩藩の藩士17名の銅像:「若き薩摩の群像」がある。 これは、慶応元年(1865)、薩摩藩が国禁を犯して送り出した海外留学生たちだが、台座の説明には19人(3名の付き添いと15名の..
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島津斉彬と尚古集成館先日、鹿児島の仙巖園を観光してきた。 仙巖園は、島津家第19代光久が1658年に鶴丸城の別邸として造った庭園で、園内には奇岩奇石が多く、中国龍虎山の仙巌に似ていることから「仙巌園」と名付けられ..
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新政府の腐敗を弾劾して諫死した....~横山安武横山安武は、天保14年(1843)森有恕の四男として生まれる。森有礼の兄で、通称は正太郎。 儒学者横山安容の跡を継ぎ藩に出仕し、島津久光に側近として仕え、後に久光の5子悦之助の守役となる。 明..
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『聲なきに聞き 形無きにみる』の精神を伝える~川路 利良日本の近代警察を構築し、自ら警視庁初代大警視(警視総監)となった川路利良は、天保5年(1834)鹿児島近在の比志島村に生まれる。 元治元年(1864)の禁門の変で戦功をあげて西郷隆盛や大久保利通ら..