記事「鹿児島」 の 検索結果 7993 件
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税所篤~己の嗜好が嵩じて古美術品を流出させたと名指しされる『堺の県令をして居る時分に奈良の大抵の社寺の古物などを持って帰るのですね。』。 明治文化研究者で大審院判事も務めた尾佐竹猛から、こう評価された税所篤は、どんな生い立ちと生涯をおくったのか。 ..
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海江田信義(有村俊斎 )~精忠組の生き残り。粉飾されたエピソード。海江田信義は、いろんなかんばしくないエピソードがあり、一般に評判はよくない。本当はどんな人物だったのだろうか? 天保3年(1832)、薩摩藩士・有村仁左衛門の次男として生まれ、11歳の時島津斉興..
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大久保利通~勤厳実直、冷徹な決断力。我が主張を通す策士。維新の三傑のひとり、大久保利通は文政13年(1830)、薩摩藩士・大久保利世の長男として生まれる。幼名は正助。後、島津久光から一蔵を賜る。 幼少期、郷中や造士館の仲間は親友・西郷の他、税所篤、吉井..
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桐野利秋~純朴、剛毅、示現流の名手-中村半次郎俳優の榎木孝明氏が映画『半次郎』を制作して、桐野利秋の生きざまを描いて評判になった。 桐野利秋は薩摩藩城下士の5人兄弟第3子として天保9年(1838)12月生まれる。 中村半次郎、後桐野利秋と..
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『黒田清隆(人物叢書)』(井黒 弥太郎:吉川弘文館)黒田清隆は、西郷,大久保亡き後の薩摩閥のリーダーに擬せられて,第一次伊藤内閣の後第二代首相となった。しかし、醜聞と疑獄事件によって世評は芳しくなく、また葬儀委員長を榎本武揚が務めた如く、故郷の人々か..
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平田靭負と『宝暦治水・薩摩武士物語』宝暦治水とは、宝暦4年(1754)2月から宝暦5年(1755)5月、幕命により薩摩藩が行った治水工事。 濃尾平野の治水対策で、それまでしばしば洪水を起こしていた木曽川、長良川、揖斐川の三川分流..
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『新納忠元』(山元泰正:学陽書房)新納忠元は、戦国時代 島津氏を支えた豪勇の重臣。鬼神のように戦い、戦策をめぐらす一方、民に愛され詩歌を愛した。 大永6年(1526)に生まれ、慶長15年(1611)に85歳で亡くなるまで一所懸命に..
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『島津重豪(人物叢書)』(芳 即正:吉川弘文館)島津重豪は、延享2年(1745)島津家24代で第7代鹿児島藩主・重年の長男として生誕。幼名は善次郎。 母の都美は善次郎を出産したその日に19歳で死去する。 第5代・継豊病弱という理由で18歳で宗..
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益満休之助~『幕末動乱の男たち』(海音寺潮五郎:新潮社)小学生の頃、益満先生という優しい先生がいた。父と同級生でふたりは仲がよかったが、父は「あたまは俺がよかった。」と自慢していたこともあり、今もよく憶えている。そういうことや、珍しい姓でもあり益満休..
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『黒木為楨~日露戦争の勝利に最も貢献した名将』(柘植久慶:PHP文庫)日露戦争でロシア軍を撃破し続け、震撼させた将軍・黒木為楨は、天保15年(1844)薩摩藩士・帖佐為右衛門の三男として生まれ、のち、黒木万左衛門為善の養子となる。 戊辰戦争では、4番隊半隊長という..
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樺山資紀~『薩南示現流』(津本陽:文春文庫)白洲正子の祖父としても知られている樺山資紀は、天保8年11月2日(1837)、鹿児島城下加治屋町の薩摩藩士・橋口与三次の三男に生まれる。実兄は寺田屋事件で死亡した橋口伝蔵。覚之進と名づけられたが..
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吉井友実~信義に厚い薩摩隼人吉井友実は文政11年(1828)薩摩藩士・吉井友昌の長男として生まれる。加治屋町に生まれたため、西郷や大久保、税所篤らは幼少期からの親友として育つ。通称を仁左衛門、中介、のち幸輔。 藩主島津斉彬..