記事「エッセイ」 の 検索結果 38823 件
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15歳の春人生で最も楽しいひと時を過ごす中学生時代の思い出は、私にとって子供から大人への脱皮を始める好奇心の旺盛なときだった。 勉強も遊びも真剣だった。又淡い異性への憧れ、正義感に燃え、真理を追究し神を求..
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駆け抜けた青春私は昭和19年4月、軍人であった父と軍国の母であった両親のもと、4人兄弟の末っ子として沼津で生まれた。 両親、兄、姉たちは満州国で生まれ育ち、多くの現地人を使って裕福な暮らしをしていたらしい。しかし..
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カランツ(房すぐり)2004年6月のある土曜日の午後、わずかばかりの買い物をしてスーパーマーケットを出ると、前の花店コーナーに小さな赤い実をつけた丈の低い鉢植えがあるのに気が付いた。 {房すぐり(カランツ)}と書かれ..
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明日の記憶何年か前のことである。新しく出来たシネコン・VIVI沼津で始めて映画を見た。 それは「明日の記憶」で、渡邊 謙と樋口可奈子による感動的な作品だった。 夫婦ともに定年退職後、久しぶりに見た映画だった..
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親切な方に感謝ある日のこと。お稽古に沼津駅の北口へ出かけた。お稽古に行くときはいつも電車の回数券とノート、鉛筆や辞書ぐらいしか持たない。その日も往復2枚の電車の回数券を持って出かけた。夜の8時ごろ、お稽古が終わって..
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同僚へ送る言葉篠原さん、どうしてあなたはそんなに急いでいってしまったのですか? あなたに病院であったのはそう、5月か6月だったかしら。私の心臓の事を心配してくれて、今度は良かったねって言ったあなたが先に旅立って..
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「はぐるま」部落問題研究会と言う団体の発行所だったか,「はぐるま」と言う小冊子がある。 長女が小学校3年生の時だったろうか、受け持ちの米山先生が父兄の読書会をやろうと誘ってくれた。 毎月一回 「はぐるま」..
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センポ・スギハアラ去る2004年7月14日、沼津市民文化センターにおいて、劇団「銅鑼」による杉原千畝さんの感動的なドラマ「センポ・スギハアラ」が上演された。 嘗て、NHKがテレビで取り上げ、彼については知ると..
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無常の喜び毎年6月にはニューヨークからストーニーブルック大学の学生たちが20名、提携校である日本大学国際関係学部に1ヶ月間アジアの研修にやってくる。 20家庭に分散し、大学に通学し日本語や文化などを..
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ホスピタリティ-7月24日から31日までの1週間、沼津市の姉妹都市カラマズーからのお客様をお迎えした。 我が家にホームステイしたのはアーティストのご夫妻だった。お会いするまで私には荷が重いかなと思っていた。..
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豊かな自然と友情 NZのたび私達国際ソロプチミスト駿河は7名の代表団で夏の終わりを楽しむニュージーランドへ国際親善の旅をした。 クライストチャーチでは、初めて会う会員の皆さんに空港への出迎えから2日間の交流をアレンジしてい..
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愛する沼津と沼津御用邸私の生まれ故郷、と言っても、現在に至るまで離れたことのない、この町である。たくさんの思い出を生み出し、私を育ててくれた、今は亡き両親や兄弟たち、そして隣人たち、大地と大いなる自然。 北に霊峰..