記事「ヒンドゥー教」 の 検索結果 500 件
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ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」(1)●グル(Guru)…サンスクリットの語源は「闇(gu)を追放する者(ru)」●遠い前世についての記憶は、何も私だけの特別な能力ではない。多くのヨギたちは、劇的な生死の境を越えるにあたっても、自己意識を..
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クリシュナムルティ「知恵のめざめ-悲しみが花開いて終わるとき」(2)●「思考」は国家・民族を考案してきたし、人々の間に「分割」をもたらす。思考は、戦争・葛藤・抗争などの問題を生み出してきた。そのとき思考は、これらの問題を解決しようとするのだ。いいですか。あなたは思考を..
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シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(4)●「ハートの洞窟の奥で、ブラフマン(絶対者)のみがアートマン(真我)の形で私として直接に輝いている。心の探求をしながら、ハートの中へと入り込みなさい。奥深く潜り、あるいは呼吸を整えることによって、真我..
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シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(3)●昔、私も彼のように十代の内に世俗と縁を切り、彼の足元に馳せ参じるべきかどうかと悩んだことがあったが、一言も口に出さなかった。にもかかわらず彼はこう答えてくれた。「凧はどんなに空高く舞い上がっても、い..
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シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(2)●【私は誰か】 心が静まらない限り、純粋な「真我」は悟られることはない。心は「想念の束」以外の何ものでもない。全ての想念の中でまず第一にあげられるものは、心の根源にある「私」という想念だ。それゆえ「私..
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シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(1)BHAGAVAN SRI RAMANA; A Pictorial Biography by Sri Ramanasramam柳田侃訳 出帆新社(1998/09)ISBN-10:4915497364●御..
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旅のお話ver10~インドの神聖なる側★ガンジス川~ガンジス川 in バラナシバラナシ(Varanasi)はインドの北部、ウッタル・ブラデーシュ州に位置する都市です。「ワーラーナシー」、「ヴァーラーナスィー」などとも表記されるほか、かつては「ベ..
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オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(8)●死ぬ技術を学ぶものは、生きる技術の大家になる。死に応じる者が、至高の生を生きるに相応しい者となる。いかに己を消し去るかを知った者だけが、いかに在るかを知るようにもなる。●本来一つのものを別個の部分に..
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オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(7)●海原で一つの波が立つ。その波が波のままで居続けたいと望んだとしても、それはできない。波は死ぬより他にない。氷になるなら話は別だ。波が硬くなれば、それなら生き残れる。だがそれはもはや波ではない。氷、そ..
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オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(6)●死は未来において起こるのではない。死はすでに毎瞬間起こっている。未来において「完成」するものではあるが、刻一刻と現実に起こっている。ここに一時間坐っていれば、一時間死んでゆく。死は決してにわかに起こ..
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オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(5)●病気の大半は、単なるまやかしだ。世界中の病の蔓延の影にあるのは、病気の増加ではない。人間の欺瞞が増えているのだ。知識が増え、経済状態が良くなれば病気の数は減るはずだが、そうなってはいない。これは、人..
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オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(4)●死に打ち勝つというのは、「単に死などないと知ること」にすぎない。死が存在しないと知ること、それが死を征服することだ。死が存在しないことに気づいた瞬間、進行中の死との負け戦は終わる。死は真の実体を持た..