記事「ヒンドゥー教」 の 検索結果 500 件
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(8)●人間の悩みの始まりは、自己を非自己と同一化することにある。●プルシャは「見る者」に留まり、現世の活動には介入せず、それに由来する苦楽にはこだわらない。プラクリティが産み出したものに関連する一切の活動..
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(7)●自分自身の本性についての無知から、心の悩みが作り出される。●神へ無条件で祈念することは、エゴを超越することを助け、人生に深い平和をもたらし、内的な光明を与えてくれる。●街角の人に聞けば、自分は悩みを..
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(6)●「記憶」とは、人生のある時間を別のある時間と結びつける働きであり、これがあるために「連続性」が生まれる。心が鎮まって過去の記憶が蘇ることがなくなると、論理的思考を全く伴わない、物や人を識別し得ない情..
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(5)●我々の人生を始めたのが神であり、人生が何処へ向かうのか、その目標地点に到達する最良の道は何かということは、神だけが知っている。全面的に無条件で神に降伏することで、我々は自らの存在の源泉に到達できる。..
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(4)●我々の現在の記憶は、実際に我々が経験し、我々の頭脳が保持し得た物や出来事から成立している。●チッタ・ヴリッティの概念を理解する良い方法は、自分自身のチッタに生起していることを「眺める」ことだ。そうす..
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(3)●citとは、「サット・チット・アーナンダ」の如く、宇宙意識を意味する。インド哲学では、宇宙は唯一の意識のみ存在し、その同じものが様々な活動の中に顕現していると主張する。cittaはcitから派生し、..
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(2)●プルシャ(宇宙意識)、プラクリティ(自然本性)、マハット=ブッディ(創造的英知)はどこにあっても永遠に同質である。何の区別もない。宇宙意識はその深い状態にあっては、いかなる「方向への動き」もない。方..
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A.ヴィディヤーランカール「ヨーガ・スートラ-パタンジャリ哲学の精髄」(1)中島巖編訳 東方出版(2014/9/20)ISBN-10:4862492320●シュリ・オーロビンドによれば、「人生全てがヨーガ」である。我々は皆、知ろうと知るまいと、自分がやって来た源泉に合一する方..
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中村元「龍樹」(3)●「相依性」とは「これがあるとき、かれがある」という関係を言うが、原始仏教では十二因縁のうちで「前の項があるときには次の項がある」と言う意味だったが、中観派はその関係をあらゆる事物の間に認めようとした..
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中村元「龍樹」(2)●「空」は全てを抱擁する。それに対立するものがない。その「空」が排斥したり対立するものは何もない。実質について言えば、「空」の真の特質は、「何もないこと」であると同時に、存在の充実である。それはあらゆ..
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中村元「龍樹」(1)講談社(2002/6/10)ISBN-10:4061595482●『中論』冒頭の「帰敬序・帰敬偈」…中論全体の要旨。否定の論理の典型、8種の否定句「八不(はっぷ)」。嘉祥大師吉蔵は「八不は既に是れ衆経..
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「タゴール著作集 第7巻(哲学・思想論集)」第三文明社(1986/04/20)ISBN4-476-04037-3●【人間の宗教】 どういうものか、私の心は最初は宗教にはよそよそしく冷ややかで、どんな宗教からも全く影響されることはなかった。●やが..