記事「ヒンドゥー教」 の 検索結果 500 件
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KAWADE道の手帖「中村元生誕100年-仏教の教え人生の知恵」(2)●釈悟震「今日の日本の少なからずの仏教エリートたちは、キリスト教の『愛』と仏教の『慈悲』を同列に並べる傾向がある。このような姿勢に対して博士は、いち早く次のような教示を出している。『慈悲の精神は、人間..
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KAWADE道の手帖「中村元生誕100年-仏教の教え人生の知恵」(1)河出書房新社新装新版(2012/9/11) ISBN-10:4309740472●中村先生の墓碑銘には、先生の翻訳になる『スッタニパータ』の中の一節で、南方仏教で特に重んじられている「慈しみのことば(..
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中村元/奈良康明対談「仏教の心を語る」(4)●「布施」とは布(し)き施(ほどこ)す、元のインドの言葉で「ダーナ」(与えること)という。西洋では寄付することを「ドネーション」、与える人を「ドナー」といい、語源的には同じ。それが日本語に入ってきて、..
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中村元/奈良康明対談「仏教の心を語る」(3)●水鳥の ゆくもかえるも跡たえて されども道は わすれざりけり(道元『傘松道詠』) 水鳥が跡を残さず自由自在に生きながら、行き着くところにはちゃんと行き着く。人間に当てはめてみると、自由自在といっても..
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中村元/奈良康明対談「仏教の心を語る」(2)●ある人が毒矢に射られて苦しんでいる。彼の家族は医者を迎えにやるだろう。しかし当人が「私を射た者が王族であるかバラモンであるか、弓や矢はどのような形で材料は何であるか…分からないうちはこの矢を抜き取っ..
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中村元/奈良康明対談「仏教の心を語る」(1)東京書籍(1990/06)ISBN-10:4487752825●「開発(かいほつ)」は仏典によく出てくる言葉だ。人間は内に尊いものを持っている。それを他の人が慈悲の心をもって伸ばしてくれる。あるいは特..
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N-G.コウル・シング「シク教(シリーズ世界の宗教)」高橋堯英訳 青土社(1994/05/20)ISBN4-7917-5301-1●シク教は、世界の宗教の中で最も新しい宗教で、根本原理はパンジャーブ語で「イク・オンカール・サト・ナーム(Ikk oan k..
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中村元選集〔決定版〕第30巻「ヒンドゥー教と叙事詩」(2)【マハーバーラタ】●ヴィヤーサとは単に「整理者」「編纂者」というほどの意味にすぎない。●「バーラタ(Bharata)」という語は日本ではほとんど知られていないが、現代でもインド人はインドの国名をBha..
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中村元選集〔決定版〕第30巻「ヒンドゥー教と叙事詩」(1)春秋社決定版(1996/10)ISBN-10:4393312309●ヒンドゥー教は、仏教やジャイナ教が確立した「後に」盛んになった。このことは、種々の事実によって確かめられる。ヒンドゥー教の興起ととも..
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ジョーン・トリフソン「つかめないもの」(5)●「明け渡し」とは、抵抗と探求の終わりだ。「今あるもの」を徹底的に「受け容れる」ことだ。「単一性」の外側には「何もない」と認識することだ。●〈今ここ〉にあるということには「時間」はいらない。時間がか..
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ジョーン・トリフソン「つかめないもの」(4)●あなたが呼吸しているのか? それともあなたは呼吸されているのか? 答えなくていい。本質的に違いはない。(スティーブ・ヘイゲン)●認識というのは新たに手に入れるような何かではない。自分でまだ認識でき..
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ジョーン・トリフソン「つかめないもの」(3)●考えではなく、感じることに注意を向けなさい。そうすると、このいわゆる「身体」が、個体として存続している「もの」では全く無いことが、すぐ分かる。それは、絶えず変化を続け、揺れ続け、脈打っている「感覚..