記事「古典文学」 の 検索結果 231 件
-
古典文学探訪135 「土佐日記」の最後「帰京」2 新しい小松を見ると愛児を失った悲しみが募る自分の家の管理を頼んでおいたのに隣人は何もしてくれなかったのですが、作者(「ある人」という設定ですが紀貫之自身です)は「このような荒れ方だ」と従者たちに声高に不平を言わせないとあります。わが家に着い..
-
古典文学探訪134 「土佐日記」の冒頭「門出」2 最後「帰京」1 言葉の洒落・荒れたわが家に衝撃12月22日に和泉の国までは平穏無事であるようにと神仏に願を立てると「土佐日記」に書かれていますが、これから作者の紀貫之(文中では「ある人」)は船で四国を海伝いにいき、難所である鳴門海峡を渡るの..
-
古典文学探訪133 「土佐日記」の冒頭「門出」1 仮名で日記を書くために女性の身に仮託授業で「土佐日記」の冒頭部分「門出」と最後の「帰京」を扱いました。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」という有名な冒頭部分です。「男も書くという日記というものを、女の私も試み..
-
古典文学探訪132 鴨長明「方丈記・安元の大火」 被害が都の三分の一に及ぶ鴨長明の「方丈記」の「安元の大火」を授業で扱ったことがあります。安元3年(1177年)に起こった大火事のことを描いている箇所ですが、来年の大河ドラマの主人公である平清盛が勢力を持っていた時代(と云っ..
-
古典文学探訪131 「伊勢物語・筒井筒の段」4 2人の女の違いが浮き彫り・「大和物語」との対比高安の女は喜んで男を待ちますが、来ると言うばかりでたびたびむなしく過ぎてしまったので、また高安の女は和歌を詠んで贈ります。 「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」 「..
-
古典文学探訪130 「伊勢物語・筒井筒の段」3 もとの妻を見直し、新しい女の下品さがいやになる男「筒井筒」の段では、もとの妻が、高安の女のところに行く夫(男)の身を案じて和歌を詠んだという設定になっていますが、よく考えれば不自然ではあります。もとの妻がそばに誰もいないと分かっているのに一人で和..
-
古典文学探訪129 孟子「四端」2 四つの芽生えの拡充によって、天下を安らかに保つ大体、自分に四つの芽生え(深く哀れみいたわしく思う心、自分の不善を恥じ人の悪を憎む心、へりくだって人に譲る心、事のよしあしを判断する心)が備わっていると自覚している者は、誰でもこの四つの芽生えを拡大..
-
古典文学探訪128 孟子「四端」1 人の不幸を平気で見ていられない心を人間誰しもが持つ孟子は性善説を唱えましたが、その考えがよくあらわれている「四端」を漢文の授業で取り上げました。文中で「人に忍びざるの心」という言葉が何回も繰り返されていますが、「人の不幸を平気で見ていられない心」..
-
古典文学探訪127 源俊頼「俊頼髄脳」 鷹狩りの歌の優劣をつける藤原公任「俊頼髄脳」は歌論書ですが、授業で扱ったのは、評判となってなかなか優劣がつかない鷹狩りの和歌の判定を藤原公任がつける話です。藤原公任は和歌、漢詩、管絃いずれの才能にも秀でた当時、超一流の文化人でした..
-
古典文学探訪126 「伊勢物語・筒井筒の段」2 新しい女のもとに行く夫の身を案じた和歌を詠む妻「幼なじみ」というかつてのヒット曲があり、この曲の中では幼なじみの男女が最後には結ばれということになっていましたが、実際にそういう例がないことはないでしょう。最近は友達夫婦という関係もありますから、..
-
古典文学探訪125 「伊勢物語・筒井筒の段」1 幼なじみの2人が愛の歌を交し合ってめでたく結婚「伊勢物語」の「東下りの段」の次に「筒井筒の段」を授業で扱いました。この段は「伊勢物語」では珍しく冒頭が「昔、男ありけり」ではなく、「昔、田舎わたらひしける人の子ども」という言い方で始まります。「田..
-
古典文学探訪125 「伊勢物語・東下りの段」3 富士山・都鳥を題材にして詠んだ和歌「男」が富士山を題材にして詠んだ和歌は、「時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ」であり、「時節を知らない山は富士山だ。今を一体いつだと思って、茶色に白の斑点が交じる模様のように雪..