記事「古典文学」 の 検索結果 231 件
-
古典文学探訪76 陶淵明「白水素女」2 のぞき見によって損をした主人公謝端は彼女をとどめようとしましたが、相手は聞き入れず、突然風が吹き雨が降り、ぱっと飛び立って去ってゆきました。謝端は神棚を作って女神を祭りました。彼の生活は豊かにはなりましたが、大金持ちにはなりませ..
-
古典文学探訪75 陶淵明「白水素女」1 あらすじ前半 持ち帰ったたにしが女性に変身する話陶潜すなわち陶淵明が編集した「捜神後記」の中の一節に「白水素女」という話があります。陶淵明は、役人生活を四十歳で辞め、故郷に帰って田畑を耕しながら読書をしたり酒を飲んだりして自由に暮らし、田園詩人と..
-
古典文学探訪74 「栄花物語」 道長側の親王の誕生に衝撃を受ける伊周今回取り上げのは、国公立大学の二次試験で過去に出された「栄花物語」の一節であり、かつて3年生の希望者を対象として行った講習で扱ったものです。二次試験は記述式の問題が中心ですから、講習で扱う教材はおの..
-
古典文学探訪73 大和物語「旅寝の夢」 出家した後も主従が一緒・宇多法皇と良利宇多天皇が譲位した翌年と物語では述べられていますが、実際は二年後のこと、宇多法皇は出家してあちらこちら山歩きして仏道修行を行ないました。宇多天皇のそばに仕えていた橘良利は備前掾という低い身分でしたが..
-
古典文学探訪72 「井関隆子日記」 夫の17回忌を控えた今の心境江戸時代に書かれた「井関隆子日記」の一部が一九九九年度の大学入試センター試験の古文の問題になりました。筆者は旗本の妻ですが、教養が高く古典的な雅文体の日記を五十六歳から六十歳にかけて書いています。..
-
古典文学探訪71 「増鏡」 後鳥羽院編3 隠岐の島でわびしい生活を19年間送る後鳥羽院は隠岐の島に、順徳院は佐渡に流され、倒幕に関与していなかったものの、土御門院も、自分だけ都に留まってはいられないということで自主的に土佐に移ります。後鳥羽院は島でわびしい生活を送り、もの思い..
-
古典文学探訪70 「増鏡」 後鳥羽院編2 承久の乱の経緯・実朝による頼家暗殺説和歌の世界に精通していた後鳥羽院ですが、院の政治力が発揮されるところもあります。おっとりとした土御門に代えて才気のある順徳を天皇にしたこともそうですし、やがて後鳥羽院を倒幕運動に駆り立ててゆくことに..
-
古典文学探訪69 「増鏡」 後鳥羽院編1 4歳で天皇、在位15年で退位して院政を敷き、和歌にも精通「増鏡」は歴史物語の一つであり、いわゆる鏡物と言われるものの最後の作品です。最初の「大鏡」はよく古典の教科書に収録されていますが、「増鏡」は全くと言っていいほど教科書には出てきません。 「増鏡」..
-
古典文学探訪68 「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。」大河ドラマ「天地人」第17回で石田三成が、自分に仕えないかと信長に持ちかけられて断る場面で、この言葉を出していました。自分がたとえ千里を走る馬であったとしても、それは秀吉という名伯楽がいるからであり..
-
古典文学探訪67 センター試験「一本菊」3 返事を寄越さない女の家に忍び込むようにそそのかす常磐文をそのまま返された兵部卿宮は三首目の和歌を作って、常磐にみたび持たせて兵衛佐の妹のところへ行かせます。その歌は「紅の末摘花や我ならんふみかへさるる身こそつらけれ」というものであり、自分の思いが顔色..
-
古典文学探訪66 センター試験「一本菊」2 逢坂の関を詠み込み相手に逢いたい意思を伝えようとする宮兵衛佐は妹に来た和歌の字を見て、兵部卿宮からのものだとすぐ分かります。それだけ二人が親しい関係だったことが分かりますし、兵衛佐は兵部卿宮からの妹への求愛を喜びます。なにしろ、宮は天皇の弟ですし、妹が..
-
古典文学探訪65 センター試験 「一本菊」1 自分のお気に入りの男の妹に興味を示す宮センター試験の古文の問題で出題された作品ですが、私は寡聞にして、この「一本菊」という作品を知りませんでした。奈良絵本と呼ばれる挿絵入りの御伽草子の一作品で、室町時代に作られたものです。御伽草子は公家..