記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
-
合歓山越嶺古道-36(蓮花池歩道)【写真説明】まずA案を実行すべく、「合歓山越嶺古道-22」で紹介した梅園竹村歩道の入口の廻頭湾までやって来た。同じ入口を共用する前回は入山を見送った蓮花池歩道を辿るのが目的だ。すると、左写真の警..
-
ルカイ族秘道-8:コツアボアン社(旧好茶)-6【写真説明】コツアボアン社最後の記事になる。前回紹介した南幡重助記念碑の裏は沢になっており、その碑の直ぐ下に滝壺がある。それが左写真、更にその沢を渡り暫く進むともう一つの沢に行き当たり、ここに..
-
ルカイ族秘道-7:コツアボアン社(旧好茶)-5【写真説明】旧好茶国民小学校跡の三枚。その前身はコツアボアン蕃童教育所。左から、校庭、国旗掲揚台、旧校舎。部落の入口から入りそのまま進みやがて校庭跡に出食わすとその校庭の突き当たりに一基の石碑..
-
ルカイ族秘道-6:コツアボアン社(旧好茶)-4【写真説明】国家二級古蹟内の三枚。左写真は「ルカイ族秘道-4」でプレート写真を掲載した派出所の前身、旧好茶派出所で、日本時代の駐在所をそのまま襲ったそうだ。中央写真は、遺棄された住居跡。右写真..
-
ルカイ族秘道-5:コツアボアン社(旧好茶)-3【写真説明】好茶古道と通称されることもある新好茶(モーラコット台風で壊滅、現在は三地門郷に移遷)と旧好茶間の連絡道は、その後休憩所としては絶好の沢を渡り、そこからは立ちはだかる岩盤の壁を伝う道..
-
ルカイ族秘道-3:コツアボアン社(旧好茶)【写真説明】右写真は、井歩山-シャデル山間鞍部にあるシャデル社-コツアボン社間間道入口、2004年10月撮影。中央写真は同入口、2008年5月撮影。右写真は、同地点、シャデル山登山口にある登山..
-
ルカイ族秘道-2:シャデル社(阿礼)【写真説明】左写真は阿礼部落一景。中央写真は井歩山三角点。右頂上に置かれた石碑。「登山」の下にローマ字表記のルカイ語が記されているが、残念ながら意味不明。
-
ルカイ族秘道-1【写真説明】これまで紹介した旧社を上から見下ろした写真が無いかどうか?を探した。というのは、過去二回北大武山に登頂した際、頂上付近から同方向を写した記憶があったからだ。当時はバタヱンとかチャリシ..
-
パイワン族秘道-62:バタヱン社(高燕)【写真説明】左写真は台湾ではバタヱン社跡(旧高燕)とよく紹介される遺構。その遺構から旗塩山登山口へ向かい暫く進むと中央写真の廃棄された家畜飼育小屋に至る。私は見た途端豚小屋だと決め付けたが、こ..
-
パイワン族秘道-61:チャリシ社(射鹿)【写真説明】 2004年10月のチャリシ社五葉。下パイワン社の射鹿渓を隔てた対岸を登り切るとまず眼に飛び込んで来たのは、左写真の畑地である。次に私の眼を驚かせたのは中央写真に写る井歩山(標高2..
-
パイワン族秘道-60:下パイワン社(排湾、筏湾)【写真説明】左写真は屏東県瑪家郷瑪家村入口。中央写真は、下パイワン社とチャリシ社を射鹿渓で繋いでいる吊橋。射鹿渓はやがて、隘寮(南)渓、荖濃渓、高屏渓の順で台湾海峡に注ぐ。右写真は下パイワン社..
-
パイワン族秘道-59:大亀文王国-11【写真説明】「内文祠」―「祠」とはつまり神社のことである。左一枚目の写真は参道を支える石垣。石垣が支える参道端から見下ろしたもの。全く崩壊した部分が無く、その頑強さは驚くばかりだ。左二枚目は..