記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
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パイワン族秘道-58:大亀文王国-10【写真説明】「日本統治」(2)―本項は一回の記事で済まそうと考えていたが、数葉紹介したい写真が残っていたので、追加で記事を起こした。左写真は、前回掲載の門柱から入ると直ぐの場所にあった使途不明..
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パイワン族秘道-57:大亀文王国-9【写真説明】「日本統治」―左二枚はパイワン族独特の石塁の立派な階段を従えたコンクリート製の門柱。右二枚は官舎群のコンクリート土台。門柱にしろ、土台にしろ、これらが嘗て何の建物だったのか?は、..
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パイワン族秘道-55:大亀文王国-7【写真説明】「出迎え」―左写真は内文社入口でまず我々を迎えてくれた茄苳(アカギ)の巨木、その横には榕樹(ガジュマル)の巨木も同時に侍っていた。右写真はこれらの巨木も併せ嘗て日本時代の官舎群が軒..
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パイワン族秘道-54:大亀文王国-6【写真説明】左一枚目写真は、自動車駐車地点から約一時間歩いた地点まではバイクの走行も可能、バイク乗り入れ最後地点。7時40分に駐車地点を出発、8時35分にバイク乗り入れ最終地点に着いた。こ..
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パイワン族秘道-53:大亀文王国-5【写真説明】大亀文王国の中の一つ、「霧里乙」社跡の三枚。筆者の手元の日本時代地形図にはこのままの漢字に「プリイツ」の振り仮名が振られている。内頭獅公学校前から産業道路を辿ること二キロ弱の場所に..
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パイワン族秘道-50:大亀文王国-2【写真説明】左写真は旧内文社跡が存在するだろうと当りを付けた屏東県獅子郷内獅村の入口ゲート。中央写真と右写真は同村内の派出所兼鉄馬駅(台湾の各所に設けられたサイクリング・ステーション)。中央写..
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パイワン族秘道-49:大亀文王国-1【写真説明】現在の屏東県獅子郷内文村内にある2000年に建てられた「獅子郷内文村遷村五十三週年記念誌」。誌碑に依ると、中華民国36年(1947年、昭和22年)、戦後間も無く、旧村から現在の地への..
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合歓山越嶺古道-35(饅頭山)【写真説明】饅頭山、荻坂山と連続するタッキリ渓右岸の山稜山腹に一直線に延びる合歓越道路が開鑿されていたが、元々はタロコ族が永年使用してきた連絡道だった。ここに掲載した三枚の写真は、今でも目を凝..
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合歓山越嶺古道-33(梅園竹村歩道-12)【写真説明】旧タウサイ社天主堂は当地住民の数に比してよく管理が行き届いている。急速にここの住民が他地方に転出していったのはつい最近のことだと思われる。日本風に言えば典型的な過疎地域ということに..
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合歓山越嶺古道-32(梅園竹村歩道-11)【写真説明】旧タウサイ社の現況を三枚。左写真は村入口の三叉路に立つ十字架。中央写真は水蜜桃畑越しに来し方を仰ぐ。右写真は村の中の今は住人無き家屋。このように完全な家屋は殆ど無いので、往時の村の..
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合歓山越嶺古道-31(梅園竹村歩道-10)【写真説明】左写真に写る手前二本の柱は日本時代鉄線橋の橋柱、奥は現在の仁愛吊橋。右写真右写真は陶塞吊橋橋柱付近、小振りの柱が日本時代遺構に相当するようだ。本文記事下掲写真は台湾サイト中で見付けた..
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合歓山越嶺古道-30(梅園竹村歩道-9)【写真説明】トウサイ渓に掛かる最後にして最大、最長の陶塞吊橋。対岸が旧トウサイ社、現竹村(上梅園)。その橋上からトウサイ渓上流(中央写真)と下流(右写真)を望む。