記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
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能高越嶺古道-27:合作村平生【写真説明】タロコ族最古の村と言われるのが、トルワン社、平生部落である。つまり今現在花蓮県側で最大勢力となっているタロコ族の発祥地は、この南投県仁愛郷合作村最奥付近の地だという意味だ。中央山..
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能高越嶺古道-26:精英村平和【写真説明】平和部落、ルクダヤ社は、平静部落から北へ2キロ弱の場所にある。左写真は部落の俯瞰、奥に写る立派な峰を持つ濁水渓対岸の山はそのものズバリ、三角峰(標高2,376メートル)、日本時代から..
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能高越嶺古道-25:精英村平静(2)【写真説明】前回の記事で紹介した大同村と精英村+合作村の境界部分の濁水渓に何本の橋が掛かっているのか?は私は知らない。写真は実は平静部落ではなく、お隣の平和部落と対岸を結ぶ吊橋だ。対岸に渡り坂..
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能高越嶺古道-24:精英村平静(1)【写真説明】南投県仁愛郷精英村平静部落、トーダ社(右写真にローマ字表記)の国民小学校。当時ここにテントを張らせていただいた。前にも書いたことがあるが、台湾では学校は露営地としては最高級の場所であ..
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能高越嶺古道-23【写真説明】キャベツは台湾の高山野菜を代表する。初めて清境農場付近まで上がってきてキャベツ畑を目撃した時は、新鮮な驚きがあった。そのくすんだ緑色とキャベツのサイズ、それに山のガスが絡んだ風景に..
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内本鹿越嶺古道【写真説明】台東県延平郷紅葉村は、紅葉、清水、楓、嘉嘉代、桃林、橘、寿、常盤、朝日、出雲。。。と中央山脈を超えて高雄県六亀に抜ける内本鹿越嶺古道の東側起点である。延平郷はブヌン族が集中して居..
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関山-3【写真説明:写真はクリックして拡大】「老獪」 再び持ち出すのは恐縮であるが、これら三枚と「庫哈諾辛山-1」に掲載した四枚の写真と比べて欲しい。明らかに両者、発する気が異なる。樹木の名前が覚束..
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能高越嶺古道-22【写真説明】天池山荘はその改築が2005年には発表されたにも拘わらず、その後なかなか着手されなかったが、今回行ったら山荘の外壁は粗方剥がされ改築が開始された所に出食わした。改築が完成するまでの間..
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能高越嶺古道-21【写真説明】「能高山越嶺古道-17」で紹介した富士見駐在所跡であるが、これまでは大凡の位置は判っていても実際の駐在所跡は特定出来ていなかった。今回探し当てたのが掲載した三枚の写真である。古..
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能高越嶺古道-20【写真説明】左写真は、能高山越嶺古道西段入口、屯原に立つ二つの国家歩道、「高山歩道」(登山道)と「歴史歩道」(古道)の標識。標識に示された距離は、国家歩道に指定された歩道全長。南華山(能高山北..
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恒春卑南古道(阿朗伊古道)-28【写真説明】とうとう「大日本琉球藩民五十四名墓」への入口に交通標識が設えられた。幹線自動車道脇の道路標識だけではない。そこから墳墓に至る道は中央写真に見るモダンな煉瓦敷きになり、且つ、右写真に..
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パイワン族秘道-40:女仍社【写真説明】6月下旬とは台湾では夏場である。そんな時に台湾の低山に登るのは推奨出来ない。容易に脱水症状を起こしてしまうからである。が、私はとにかくどっぷり汗をかきたいという渇望がある。草を搔..