記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
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パイワン族秘道-38:中間路【写真説明】左写真は、屏東県牡丹郷中間路の一景。二枚目は中間路旧社へ至る産業道路入口と旧社案内板。三枚目は写真は中間路旧社、カジャジャナン社跡。右写真はクスクス(高士佛)山への登山指導標。
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北坑渓古道-2【写真説明】丸田砲台入口ゲートの脇には廃棄された民家がある。最初はここら辺りが二本松駐在所跡ではないかと考えていたのだが、このゲートから暫く入った先に設えられたブログ本文記事にある「丸田砲台文..
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鳴鳳古道-3【写真説明】2010年度の最後の記事は新しいカテゴリーを持ち込むのは止しにして、もう一回鳴鳳古道に拘わる写真を掲載して締めくくることにする。左写真のような指導標は古道上に隈なく立つ。ご覧のよう..
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挑塩古道-7【写真説明】恐らく台湾の神社にご興味のある方には虎頭山中の通霄神社は非常に知られていると思うので、記事や写真を掲載するのを躊躇したのが、個人的には余りにも見事に保存されているのに仰天した故、敢..
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挑塩古道-1【写真説明】2004年5月に苗栗県三義市街の木彫博物館脇に設えられた「四月雪小径」で撮影した油桐(アブラギリ)の花。ウィキペディアに曰く「台湾で『桐』という字はアブラギリを指す。台湾を代表する..
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『水の古道』曹公[土川]-6【写真説明】左写真は九曲堂駅の近くにある残るパイナップル工場遺構。九曲堂は日本時代、南台湾を代表する缶詰パイナップルの大産地だった。『水の古道』曹公[土川]-2に掲載した写真の九曲堂駅前広場の白..
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『水の古道』曹公[土川]-2【写真説明】左写真は台湾鉄路、高雄県大樹郷九曲堂駅前。右写真は今は台湾の国定古蹟である「下淡水渓鉄橋」の設計者飯田豊二の記念碑。同記念碑は駅構内にあり、その周りは公園として整理されている。記念碑..
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『水の古道』曹公[土川]-1【写真説明】曹公[土川]は台湾三大古[土川]の一つと呼ぶ人もあるようだが、何処でも見掛ける普通の水路である。水利組合に加え、どのレベルの何処の機関が推進しているか判らないが、整備、紹介が進むのに..
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パイワン族秘道-37:四林格社(シナケ社)-4【写真説明】左写真は、シナケ社跡で見たものより、更に精巧な切り欠き。中央写真はシナケ社にもあったが、切り出された石板表面の不思議な波模様、これが自然のものかどうか?よく判らない。右写真は別タイ..
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パイワン族秘道-36:四林格社(シナケ社)-3【写真説明】旧社跡に設置された案内板によると仮称カスバカン社跡は総面積は1.5ヘクタール、約22個の石板屋が残存しているとある。これら家屋の平均面積は約50平米。これに対し、頭目の住居面積は..
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パイワン族秘道-34:四林格社(シナケ社)【写真説明】左写真は、四林格社旧社入口。中央、右写真は、ひょっとしたら恒春半島パイワン族住居で特徴的な部分かもしれないが自信は無い。通常柱にする石板は薄く広く、そして丈があるのが通常だが、写真..
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恒春卑南古道(阿朗伊古道)-27【写真説明】再度、旧四林格社付近に残る忠魂碑の紹介である。左写真は忠魂碑を裏側から見たもの。碑と土台の大きさが判るようにデイバックとステッキを添えた。中央写真は、忠魂碑正面の全体と最近になって..