記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
-
虎頭埤-4【写真説明】虎頭埤の周辺風景はこのくらいにして、そろそろ台湾最初のダム(台湾国語では「水庫」)の話に移ろうと思う。ダムと言っても発電所が併設されているわけではなく、虎頭埤を囲む堤防(台湾国語で..
-
虎頭埤-3【写真説明】左写真は、もう一つの神社遺構である「新化社」の石柱、何の変哲も無い石柱に見えるが、日本時代の遺物である。中央写真は、虎頭埤の由縁たる虎頭山山頂近くの旧参道と灯篭。灯籠の残存状況は良..
-
虎頭埤-2【写真説明】前回記事虎頭埤風景区内外の日本時代遺物第2号として、新化神社の風景区外の遺構を紹介したが、今回は、風景区内にある同神社遺構を紹介する。正面ゲートをくぐり直ぐ左手にある。左写真は本殿..
-
虎頭埤-1【写真説明】左写真は虎頭埤風景区の正面ゲート、虎頭埤の西端になる。そのゲートに向かい右側から南側に入り込む路地がありそこを伝い抜けると小さな街並みに出るが、そこに中央写真に写る大鳥居が立ってい..
-
火炎山古道-2【写真説明】先ずは火炎山の核心たる悪地地形では無く、緑豊かな南稜の登山道風景(中央写真)を紹介する。登山道沿いに露出する卵石(右写真)は、これまで紹介した苗栗県の古道上に典型的に観られるもので..
-
能高越嶺古道-32:能高駐在所-1【写真説明】天池山荘の前身が日本時代の能高駐在所であることは、このブログ並びに弊別ブログ「台湾百岳」で繰り返し説明した。今現在は天池山荘の由来を説明した林務局の案内板が山荘敷地内に二種立ってい..
-
能高越嶺古道-30:古道東西分岐点【写真説明】筆者が能高越嶺古道分岐点として長らく勘違いしていた、南華山-能高山稜線と天池山荘から続く古道西段との出会い附近のパノラマ写真。同稜線南側の俯瞰で同写真中央に蒋介石筆に成る「光被八表..
-
特富野古道-5:トフヤ社-1【写真説明】左写真は阿里山郷達那村特富野社入口に立つ標示板。中央写真は特富野社全景、同写真後方の山々は阿里山方面だと思う。右写真は、同社内を巡る「特富野歩道」の案内板。前回投稿で記したように2..
-
特富野古道-4【写真説明】今回掲載の三枚はすべて、古道西側起点、特富野側古道出入口附近。2009年7月のこの古道の初回探訪時に、古道全長を歩き通している。詰り、東西起点を往復しているのである。旧水上支線軌道..
-
李棟山隘勇線-6:八五山分遣所【写真説明】李棟山への稜線が高度を上げ始めた斜面を利用して築かれた「疑似」八五山分遣所遺構。李棟山隘勇線上最も完全な石塁であるが、写真に見るようびっしりと柳杉が植樹してあるので、林務局が手を入..
-
李棟山隘勇線-4:金子分遣所【写真説明】ここは『台灣山岳』に依ると「疑似」金子駐在所である。駐在所の記載は誤記かと思う。その後同地に駐在所が設置された可能性もあるが、『臺灣地形圖新解』を閲覧すると、少なくとも大混山-李棟..
-
『水の古道』隆恩[土/川]-4:濁水橋【写真説明】左・中央写真は日本時代架橋の「濁水橋」の北岸(右岸)側に、獅頭山を背に起立する橋柱遺構。集集攔河堰沿いに集集橋を介した省道3号丙線脇にあり、今は歴史遺産として公園仕立てになっている..